人は生きている限りは食べなければならない。ところが、人間が食べるものと食べようとすれば食べられるものとは同じではない。太古の時代から人間は自然界に存在する多くの「食べられるもの」から「日常的に食べるもの」を選んできた。食物とは食べられるもののごく一部なのである。野生の草木、青虫や蛆虫、蝉、蜻蛉、ペットの犬や猫、屋根裏の鼠などは食べようと思えば食べられるかもしれないが、文明国では食べるものに属していない。多くの食べられるものからごく一部の食べるものを選び出す判断はその地域の風土、文化や宗教などによって違うが、いつの時代、どこの地域においても、栄養があり、美味であり、多量に手に入れられるものが選ばれている。自然界に多く存在する食べられるものから日常的に食べる食物を選ぶことは、人類が食べることについて行ったもっとも早い時期の判断であると言える。そして、人類は選び出した「食べるもの」を自分たちの手で生産する農耕、あるいは牧畜を始めるのである。

 野生の動物は彼らが生息している地域で得られる食べ物を食べつくすと死んでしまうことが多いが、人間だけは食べ物がなくなれば、新しい土地に移動して食べ物を探すことを繰り返して生存し続けてきた。現人類、ホモ・サピエンスは約20万年前にアフリカに誕生し、狩猟と採取によって食料を調達しながら移動して、およそ6万年前にはユーラシア大陸のほとんどの地域に移り住むようになった。

人類はなぜそのような移動を繰り返したのか、さまざまな仮説が出されているが、はっきりとした答えはまだない。多分、人類の集団が大きくなると、その地域で狩猟採集できる食料ではすぐに不足が生じるであろうから、集団の一部が食料を求めて新しい土地に移動しなくてはならなくなったのであろう。狩猟とは野生動物を狩り、魚介類を獲ることであり、採集とは野生の木の実、果実や芋などを拾い集めることである。狩猟と採集のどちらが主として行われたかはその地域の自然環境によって違うが、ごく大雑把にいって高緯度地帯や中緯度の乾燥地帯では自然の植生が乏しく、そのために野生動物を狩猟して食べることになるが、これに対して低緯度地帯では気候が湿潤で植生が繁茂しているから、木の実や果実、芋などを採取して暮らすことができる。いずれにしても、ある地域における植生の種類や野生動物の生息数は食物連鎖のつながりの中で定まっている。そこに人類が入り込めば、野生動物はすぐに狩りつくされて減少し、木の実や果実もすぐに食いつくしてしまったであろう。だから、人類は食料を求めて絶えず新たな土地に移動しなくてはならなかったのであろう。

 しかし、今から2万年ほど前に大陸氷河の後退が始まり、気候が次第に温暖化してくると、寒冷地を好む大型獣は北上して人間の住んでいるところから遠ざかって行った。狩りが困難になると人々は食用にできる植物を探すより選択肢がなくなった。しかし、大きな集団が採集生活で暮らせる土地は限られている、だとすれば、人類は一か所に定住して食料を調達する新しい方法を探さなければならなくなり、そこで考え出された新しい食料調達の方法が農耕と牧畜であった。

 食べるものを自分の手で生産することは、過去の知識、経験を活用できる高度の知能と仲間と話し合って協力を求めることができる言語能力を備えていた新人類でなければできない行為であった。古代の農耕や牧畜は集団で分担、協力しなければ行えないことであった。だからこそ、言語能力が未発達で、仲間との協力が思うようにできなかったネアンデルタール人など旧人類は生存競争に敗れて、間もなく絶滅することになったのである。

農耕がいつどこで始まったのか、農耕と牧畜はどちらが先に始まったのか、詳しいことはわかっていない。およそ最後の氷河期が終わった今から1万2千年ほど前に、ユーラシア大陸のいくつかの地域で農耕が始まったようである。農耕の最初のきっかけは食用にできる植物がよく繁茂している場所を囲い込むことであったろう。また食べ棄てた種子から同じ植物が再び芽生えてくることを見つけ、種子を播いて作物を育てることを覚えたのであろう。いずれにせよ、農耕を始めたタイミングは絶妙であった。気候の温暖化により、食用植物、ことに小麦と大麦の栽培可能な地域が、人間が居住している地域にまで広がってきたからである。紀元前5千年ごろまでには、オーストリアと南極を除くすべての大陸で農耕が行われるようになったと考えられる。

 農耕という行為を永続的に続けるために必要なことは、農耕に適した作物を見つけることであり、畑にする肥沃な土地があり、そして作物の栽培に欠かせない水が得やすいことであり、農具と家畜を利用することであった。6千年か7千年前には、すでに家畜に犂を引かせて畑を耕すことが行われている。野生の牛や羊を飼い慣らして家畜として飼育すれば、その肉やミルクを食用にして、その排泄物を畑の肥料にできる。1万2千年前には、山羊が家畜化され、6千年前には馬が家畜になったらしい。農耕をするのに適していない西南アジアの草原では、人間の食べ物にはならない野草を動物に食べさせて、その肉やミルクを食料にする遊牧が始まった。それまで狩猟採集で暮らしてきた人類は農耕と牧畜で食料を生産するように転換したのである。狩猟採集で食料を獲得するのに必要であった広い土地は不要になり、農耕をすればその20-30分の1の土地で食料が安定的に得られた。こうして食物を安定して手に入れることができるようになった人類は、それまでよりもはるかに余裕のある生活を営むことができるようになり、人口が増え始めるのである。

 これが農耕、牧畜の始まりである。それは数千年がかりの転換であったが、地球上に人類が現れて以来の300万年、現人類が生まれてからでも20万年という長い年月に比べればほんの一瞬の出来事であったとも言える。野生の植物や動物を選抜して農耕、牧畜に適した作物や家畜を作り出したのは人間の創意工夫である。今日、私たちが食べている作物や家畜の9割以上がこの時期に作物化され、家畜化された。およそ100種類の栽培作物と、14種類の家畜が人の手で改良された。なかでも米、コムギ、トウモロコシ、ジャガイモ、牛、豚、羊、鶏は今でも私たちの食生活になくてはならぬ食料になっている。

さくらゆめ

  さん

生きるために食べ物は必須で、そのためにたたかい、工夫してきたんだなぁと思いました。
とってもわかりやすかったです。

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さかた

  さん

とても参考になりました。
有難うございます。

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やぶっち

  さん

大変参考になる記事でした。
大学でのレポートに役立てたいので
よろしければ参考文献等を教えて
いただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。

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黒いの

  さん

作物になる食物の発見から生まれた、農耕というプロセスは、人類史屈指の大発明ではないかと思います。

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yuu

  さん

これは食べられる、こうしたら生産できると考えた昔の人はすごいなと思います!日々の研究が今につながっているんだなと思いました。

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アイゼンヴォルフ

  さん

普段何気なく行っている「食べる」ということを紐解いていくと、それはこれまで人間がどのように生活を変化させてきたのかという変遷を追うことになるのだということを改めて感じました。

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もやもや

  さん

農耕と牧畜の時代変遷がよくわかりました。人類がおいしいものを手に入れられるようになったのは、ごくごく最近のことなのですね。

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Shozzy T.

  さん

人類が現れてからの歴史を考えると、本当につい最近の出来事ですね。
偶然この時代に生まれ、今の食生活をしているのが不思議な感じがします。

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あおやま

  さん

気候変動が食糧難をもたらし、農耕・定住へと繋がった、というのは興味深いですね。
熱帯地方ではあまり農耕が発展しなかったとも聞くので、やはり環境変動に対する適応能力が、文明の発展に必要だったんだなあと思います。

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匿名

  さん

気候変動が食糧難をもたらし、農耕・定住へと繋がった、というのは興味深いですね。
熱帯地方ではあまり農耕が発展しなかったとも聞くので、やはり環境変動に対する適応能力が、文明の発展に必要だったんだなあと思います。

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新人類

  さん

一つ一つの食物が手に入れられるルーツをたどっていくのもおもしろいですね。

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人類の端くれ

  さん

食物連鎖に対する新しいアプローチを生み出したわけですね。
そのおかげで今の豊かな食文化があるのでしょうから、ご先祖様に感謝です。

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バス

  さん

難しい話ですね。
「いただきます」「御馳走様」を大切にします。

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しろくま

  さん

人類の農耕と牧畜を始めたきっかけが、おおもとをたどると食物にあったことは興味深いですね。
人類が野生の牛や羊を飼育することができたのも、不思議に感じるところです。

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