8月11日より16日の盆休みを使って自宅(といっても誰も住んでいない)の仙台へもどり、善導寺(浄土宗)でのお盆施餓鬼会及び檀信徒会総会に参加し、法要を終え、北山霊園の墓参りいたしました。長男によると3月11日の震災時には立っていた墓石は全て倒れたとの事、重たい墓石の復旧には大変な労力、時間がかかったものと思われた。
8月14日にはバスで仙台から石巻まで行き、更に乗り換えて女川へと向かった。JR仙石線、女川線の線路は水で流されて不通で、行けるのはバス(臨時のJRバスと宮城交通バス)のみであった。
10時50分のバスで石巻から女川まで進む。途中石巻湾に流れ込む北上川の土手のかなり長い距離、ずっとブルーのビニールシートで覆われていたのが印象的であった。
川は穏やかに流れていたが石巻の町の繁華街は家が崩れている。交通整理を多くのブルーの制服の警察官が行なっていた。シグナルは点いていないのである。バス道と平行に走る所々の見える女川線の線路は赤錆たままだ。
バスから見える風景は家がひっくり返っている、あるいは崩れている家が多い。北上川沿いの家はことごとく破壊されている。松の木も赤く枯れている。
瓦礫の山、崩れた家並みの中をバスはゆっくりと女川へ向かう。道路両側はことごとくやられている。途中の墓地の墓石も多くが倒れたそのままだ。
伊原津バス停のそばではボランテアの皆さんの一団が、一生懸命スコップをもってドロかきをやっていた。この暑さ(この日は極めて暑かった)の中、ご苦労様です。
瓦礫の山、崩れた家、庭木も倒れている。渡波も家が崩れたまま誰もいない、大きな松の木が枯れているが、ひどい。その日、渡波小学校ではお祭りでヒトが集まっていた。
渡波から女川までの途中、万石浦小学校、中学校あたりまでは大きな被害は無かった。
万石浦は穏やかで被害は少なかったのだろうか。海岸の漁船、漁具も整然といつも通りのように見えた。
浦宿駅もなにも被害は無かったようだ。
そこをすぎていよいよ女川だ。バスは女川第一小学校の高台に向かった。最も高いところにバスが上りつめると、眼下に女川の町が見えるはずだ。
しかし眼下には町は無く、何も無いではないか。ずっと何も無い。見えるのはきれいに整理された道路のみで後は何も無い。
バスはどんどん女川に入ってゆく。JR女川駅は、かつてここに女川駅があったよといわんばかりに札が立っているだけで、線路もない、駅建物も無い、何も無い。バスの終点は高台の小生の母校女川第二小学校の上だった。バスを降りて、いよいよ徒歩である。そこからずっと海の方向(町の繁華街があった方向)に下り、20?30分間ほど、岸壁を石浜へ向かって歩いた。
小生が自宅から小学校へ通った懐かしい路である。
ぬけるようなグリーンのきれいな海だ。暑い中、飛び込んで子供の頃はよく遊んだ海だ。
岸壁淵にあった大きな鉄骨コンクリートの工場が今は中味はがらんどうで、ずっと高いところで、海風を受けて従業員らの着ていたシャツ、ズボンが風でたなびいていた。
海岸淵には漁具等の廃品の山がいくつか数メートルの高さに積み上げられていた。
そのジャングルのような廃品の中に人影が見える。何か金目のものを探しているのでしょう。
海独特の異臭がする。鉄筋コンクリートの3?4階の建物等横倒しになっているものもあり、強烈な波の力ですね。
石浜の日本水産の工場跡にも油脂工場の機械類が廃品としてうず高く積み上げられているだけで、何もない、誰もいない。海鳥と浜辺に打ち寄せるきれいなグリーンの海水の波だけで、人っ子一人いませんでした。
30℃以上の暑い日中、昼になって持っていたジャムパンとペットボトルの水を飲みながら、石浜から女川中心地まで戻りました。
昼頃になると、次第にクルマが多くなってきたようで、やはり様子を見に来たのでしょう。盛んにカメラで写真をとり、建物の被災を見ておりました。
JR女川駅の札のあるバスストップには、暑さでくたびれたような女性が一人バスを待っていました。声をかけると東京からきたとの事で、やはりこちらの状況を目にしたかったのでしょう。管理栄養士の皆さんも機会あれば、この女性のように現場を目に焼き付けてほしいものです。こころの襞が出来ます。
石巻でバスを降り、駅前で飲んだ生ビールはつくづく小生の臓腑に染み渡りました。
石浜である老人が一人ぽつんとしていて、声をかけるといろいろと3月11日の事を聞かせてくれました。
奥さん、娘さんと3人で仮設住宅に住んでいるが不自由で、魚を取るにも船も無く、あっても港も岸壁が崩れてしまい船も着けない。どうして仕事ができるのか。あのまま流されてしまった方が楽だったと言われました。
しかし実感でしょう。
かみ
さんこんにちは。葉書届きました。
いつも丁寧に返信して頂き、ありがとうございます。
先生の思い出のつまった故郷が被害に合われたんですね。
やりきれない気持ちがとても伝わりました。
体調を崩されたそうで、その後はお元気されていますか?
ちろ
さん半年たちましたが、被災の跡はまだまだ
残っているのですね。
ニュースでしか現地の様子を見ておらず、
なかなか現地までいくことは難しいですが
しっかり自分の目で見ることが大事だと思いました。
寒い冬から、暑い夏になり、被災地の方々の体調が
気になります。少しでも早い復興をお祈りしています。
さば男
さん故郷の被災お見舞い申し上げます。
自分がそうなること想像もしたくありません。
一日も早い復興をお祈りいたします。
mottei
さんなんと被災地の方に言っていいかわかりません
実際に見たらなおさらでしょうね。
時間が経ち、関東ではあの時は・・・という話に
なりがちですが、現在今ということをちきんと
認識し行動しなければなりませんね
まみ
さんもう半年も経ち季節も変わっていきますが
大きな被災の跡や悲しみはいつまでも消えませんね
私ができる事は何か考えるだけではなく
行動しようと思います
Azuu
さん心痛めているだけでなく
自分がしっかりしなくては。と思いなおします。
ふたちゃん
さん阪神大震災を経験しましたが、その時の復興はめまぐるしく早いものでした。
それに比べ今回の大地震は、とても復興に時間がかかりそうですね。もう半年なのですね。
やはり、地震のみの被害ではなく津波も加わっているからでしょうか?
3/11のことは半年たった今でも鮮明に覚えています。
本当に早く被災地の方に平穏な日々が訪れて欲しいです。
りんご
さんご自宅が仙台にもあったんですね。
御無事でよかったです。
まだまだあれだけ大規模の被害を
復旧するのには時間がかかりますが、
早く安心をしてくらせる生活に
なるよう応援しています。
ひぽぽ
さん今回の震災で本当に自然の恐ろしさを感じました。
私は実際に見に行ったことがないのですが、
メディアで取り上げられていない地域もすべてが
少しでも早く現地の方が元の生活をできるようになることを願うばかりです。
みぃ
さんボランティアや規制でこの夏被災地に訪れた友人から話を聞いたり、写真などを見せてもらいました。
直接行ったわけではございませんが、身近な人の話や映像だけでも衝撃的でした。
取り戻せないものも多くあるかとは思いますが、少しでも早く元の生活環境を作り上げられることを願います。
りっちゅ
さん震災からもうはんすぐ半年ですね。テレビでも報道が少なくなっていますね。みなで力を合わせていち早く復興を願います。
ジュディスタ
さんここで私にできることなんて
募金と節電、復興祈願くらい…かな?
日本中のみんなが考えるべきこと。
押し流された家を見て「私の家じゃなくてよかった」
とかって思うだけじゃなく!
「あれがもし私の家だったら…」とか
「私の家じゃなかったから」何ができるかっていうこと、
そういうことを考えるべき。
ayu
さん離れた地に住んでいるということもあり
どうしても「テレビの向こう側であっていること」という
かんじが、地震があった日からずっと消えません。
先生のおっしゃるように
1度自分の目で見ることが大事なのだと思います。
ぽん
さん先生と同じように、お盆休みを利用して東北の故郷へ帰省された方も多かったのでしょうね。きっとその目に飛び込んでくる全てが信じられないような光景なのでしょうね。
今年の夏は、毎日の様なゲリラ豪雨に見舞われ、私もせっかくの夏季休暇の半分は雨続きでした。これ以上の天災が続かないことを心から祈っています。
Pig。
さん石浜のご老人の言葉が胸にささります。“生き地獄”と言うのでしょうか。幸せってなんだろうと考える事があります。
やはり想像するのと、実際に見るのとでは大違いですよね。
トーテム
さん今回の震災での出来事は、すごく重いですね。
重いですが、その重さを無くすためにはただひたすら前に進むことと、前よりももっと良くしてやるという気概が必要だと思います。
一日も早く復興してほしいです。
偽PT
さんテレビでみるより、実際に足を運んでみるとすごい後景なんでしょうね。もう半年近く経とうしていますが、復興がうまく行っていない感じがします。
1日でも早く復興するのを祈るばかりです。
ジョー
さん震災から約半年経っても仕事に復帰できず、家族も失い途方に暮れている方も多くいらっしゃるのでしょうね。
一日も早く気力をを取り戻してもとの元気のある町に復興してほしいと思います。
オサム
さんやはり現場を見る事が必要なのでしょうね。
テレビで見たり写真で見たりしても
知識としてわかっている事と、
肌感覚でその中に身を置いた経験とでは
大きな違いがあるのでしょう。
少しづつ危機感が薄れていくのを
自分の中に引き戻す為にも
行って見てくる事が必要なのかもしれません。
shin
さんテレビで見る光景と実際に現場で見る光景は、全く違うのでしょうね。ブログの最後にあったようなお話を、直接耳にしたときに、どのような返答ができるのか…とても考えさせられます。今、自分にできることを精一杯頑張って、少しでも復興のお手伝いができればと思っております。
山田 太郎
さん何が当たり前で
何が特別か。
普段の中で想像する幸せよりも、
今という当たり前の瞬間を無くした時の方が
幸せの大きさを実感するのではないでしょうか。
改めて思います。
今、ここに自分がいる事。
家族に恵まれている事。
幸せの基準は人それぞれ異なるが
それでも、案外身近なものほど
無くしてしまった時に後悔するものでしょう。
tomato
さん『何も無い』という事が、いかに恐ろしい事か。
ご老人の言葉は、胸に刺さりました。現場にいた
人間にしか分からない、悔しさ、悲しさ、悲惨さ…
色々な感情が詰まっているように思います。
ある日突然、仕事も家も家族も全部失った人もいるでしょう。
少しでも力になれるよう、自分の出来る事をやっていきます。
先生の御実家も被災されたとの事、お見舞い申し上げます。
1日でも早く、その御老人のように被災された方々に、
普通の生活が戻りますように。
ダンボ
さん先生の透明感のある記述から、スライドショウ
をみているように、
場景が浮かび上がってきます。
石浜の老人の、こぼれおちるような言葉から、
にじみ出る悲哀、あまりにも重すぎます。
K
さんふるさとの被災。お見舞いを申し上げるだけです。頑張っている被災者の皆さんに頑張れ等とは申し上げられません。ただただ早く普通の生活に戻れますようにとお祈りするだけです。