3/10 長男の結婚式が仙台でありました。翌3/11には仙台から京都まで夜行バスで帰る予定でした。3/11にはバス出発まで、時間がたっぷりありました。そこで早朝にホテルを出て、駅前のバス停で石巻行きのバスを待ちました。長蛇の列で、1台目のバスが満員で乗れない。2台目にかろうじて乗れました。石巻での3.11のイベントがあるのでしょうか、多くのヒトがバス停にはいました。外人が多いように感じられました。外国からこの3.11を目標に、日本の現地にやってきたのでしょう。石巻までバスで進み、JR石巻駅で待っていた女川行きのバスにすぐ飛び乗って、女川へ向かいました。

石巻の町はかなり復旧していました。前回、昨年8月に訪問したときは、街は汚れ、道路は汚れ、信号の壊れたところで警察官が交通整理していたりで、ヒトも余りいなく、店のショーウインドウのガラスは割れ、壁は崩れ、開いている店など殆どなかったのですが、今回はもとの石巻にかなり戻っている感じがしました。街にはヒトがたくさんいました。

途中、北上川の縁をバスは走り女川へ向かいます。8月には北上川の土手はづっとづっとブルーのビニール袋でブロックされてましたが、今回はそれはありませんでした。崩れた家のあとに新しい家が次々に建立されていました。しかし、壊れた家もまだまだたくさんありました。

零羊崎(ひつじざき)神社付近で印象的だったのは、崖っぷちの墓地でした。きれいな墓石に置き換えられたものが、古い墓石の中に混在していました。その中にピカピカの子供地蔵の石仏が多く見られました。子供が石巻ではたくさん被害を受けています。その子供たちのための供養地蔵だろうかと想像しました。

渡波では、大きなネットで覆われた中で土壌化した瓦礫が運び出されていました。渡波小学校はまだ閉校中のようでした。

バスは万石浦、浦宿、女川へ、国道398線を走りました。女川第一小学校には仮設住宅がありました。そこを右にまがりずっと高台にあがってゆきます。女川第一保育所近くまであがると、女川の中心地が一望できます。

昨年8月にはその一望できる女川を見て、建物の何もない箱庭の様な女川に驚いたのです。今回はどうかな? やはり中心地の町並みは、箱庭状で家は全く建つていませんでした。女川は8月のままでした。


しかし遠くに見える海岸線には多くの大型漁船が停泊しているのが見え、以前と違っているなと思われました。以前は全く漁船はありませんでしたから。中心地には3?4個の大きなコンクリートビルの横倒しになっているかたまりがあり、手がつけられずにそのまま放置されてました。

終点の女川第2小学校で下車して、かつて小生の自宅のあった石浜まで、海岸縁を歩きました。


箱庭の様な土台だけ残った家の跡には、多くの花が手向けられていました。そこでご家族がなくなられたのでしょう。
前回にはあったJR女川駅の位置標識の札は今回はありませんでした。JRはみっともないから取り外したのでしょう。

海は相変わらず美しかったです。

女川岸壁は地震で1mほど沈下したようですが、土盛りやらの突貫工事が進み、大型漁船が停まれるようになっていました。やはリ復旧は進んでいるのです。女川漁港としての機能は少しづつ回復しているのでしょう。

石浜近くの旧日水前には、以前はうずたかく瓦礫の山があっちこっちにありましたが、その瓦礫の山はすこしづつ形を変えてました。広いコンクリート打ちの空き地になってました。

広いコンクリート打ちの空き地には、大型瓦礫処理機械が何台も持ち込まれていました。本日は休日のため、ヒトは誰もいませんでしたが、機械はいつもはフル回転で動いているものと思われました。

まず大きな瓦礫を大型の分別機で分別し、更に機械類を使って次々に分別整理している様でした。さいごのものは手作業で分別しているようでした。

この付近、大きな機械が林のように並んでいるのが印象的で、頼もしく感じられました。瓦礫は次々と処理されていると思われました。復旧は進んでいると感じました。しかし住宅地の方は区画整理のプラン作成中なのでしょう。民家は全く建っていないのが現状でした。

住民の方々はどこかで待っているのでしょう。

いちご

  さん

ご結婚おめでとうございます。

復興を、みんな心待ちにしています。

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azuuu

  さん

息子様ご結婚おめでとうございます。
もう1年も経つんですね。今後も復旧支援何かお役に立てるよう頑張って行きたいです。

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zoyu

  さん

ご長男様、ご結婚おめでとうございます!
震災はまだ被災された方やその関係者の方々から離れることはないのですね。
少しでもつらい悲しい思い出が楽しく幸せな毎日に変わるように心から願っています。

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匿名

  さん

ご結婚おめでとうございます。
もう一年たったのですね。
まだ、ついこの前のような気がします。
少しずつ戻って来たとはいえ、完全に元には戻せないものだと思います。
それでも、これを教訓にではないですが、より住みやすい地域になっていけばと思います。

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ひぽぽ

  さん

息子様のご結婚、
おめでとうございます。

時が経つのは本当にはやいですね。
しかし、被災地から遠くにいても、
あの時感じた思いを忘れずにいようということと、
今後、発展することを願うばかりです。

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もも

  さん

息子様、ご結婚おめでとうございます。
はやく復旧しますように…と思ってあっという間に一年ですね。
神戸でも被災し、まさか東京でも被災するとは思いませんでした。
あの時期のテレビで流れていた情報全ては忘れることが出来ないくらいショックでした。

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偽PT

  さん

3.11からの1年間は早かったですね。復旧は進んではいるのでしょうが、TV等で拝見するとあまり進んでない感じがします。まだまだこれからも支援を続けていかなければいけませんね。

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トーテム

  さん

早いものでもう一年が経過しました。

かつてほど報道の熱がない為、今はどのような状況になっているのかがいまいち伝わってこないのですが、少しでも復興が進んでいて安心しました。

まだまだ、復興には時間がかかるかもしれませんが、かつて以上の姿になるよう応援していきたいです。

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Shozzy

  さん

1年が経つのは早いですね。
震災の日は100mくらい先のビルが火事になっていたこと、帰宅が大変だったことを覚えています。
復興に向けて、自分たちにできることを小さなことでもしていきたいと思います。

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ジョー

  さん

ご家族のご結婚おめでとうございます。

私は3/11が誕生日なのですが、毎年歳を重なるのと同時に震災のことを思い出す忘れられない日になりました。
一日も早い復興を願っております。

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koko

  さん

1年が経つのはとても速いですね。
丁度都心のオフィス街にいたので、
大きく揺れるビルとガラスが割れる衝撃が
本当に印象に残っています。
また火災も大きかったですね。
まだ問題はたくさん残っているのですが、
この経験を世界に生かしていきたいと思います。

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りんご

  さん

あっという間の一年でしたね。
被災地の復興に向けて、
今自分たちにできることを
精一杯取り組まなければいけませんね!

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shin

  さん

現地の様子がとても良く伝わって参ります。
ありがとうございます。

>>>海は相変わらず美しかったです。
という一文に思わず涙があふれてきました。

変わらないもの、変わってしまったもの、
元通りにしようとしているもの、進化していくもの、
様々な苦境を乗り越え、『今』があるのだと感じます。

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ダンボ

  さん

結婚式を3月10にされた、御子息の並々ならぬ決意を感じます。それに引き替え、昨今の政治家の体たらく・・。私たちにも、選んだ責任はありますがなんとも歯がゆいことです。

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ミー

  さん

ご結婚おめでとうございます。

3.11から1年たった今、震災を乗り越えて
大切な人や命の有難さを再確認されたのでしょうね。
(私もその1人です。)
1日も早い復興を願っております。

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オサム

  さん

ありがとうございます。
被災地の様子をうかがい知ることが
出来ました。
がれき処理は、受け入れの問題で
中々進みませんが
被災地にとっては復興の
第一歩だという事が良くわかります。
強いリーダーシップにより
推し進める事が必要なのでしょうが、
混迷した政治の状態では
望みは薄いですね。

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ぽん

  さん

ご長男のご結婚おめでとうございます。

ちょうどこの時期に仙台で式を挙げられたのも、ご長男の震災に対する想いがおありだったのでしょうね。

被災地の方にとって、この1年があっという間だったのか、ものすごく長く感じられるものだったのか。テレビで拝見するだけですが、一部の方は何も変わっていない。また一部では、復興に向けて大きく進んでいるという面も感じます。

学生の頃であれば、おそらくボランティアに向かっていただろうなと思いますが、今は自分が仕事を頑張ることで経済のプラスになろう、被災地の方にサービスを提供することで支えていけたら、と考えています。

直接は何も出来ませんが、節目の1年が経った2年目だからこそ、また国民一丸となって支援していきたいですね。

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