3/3(日)東北大学関西萩友会交流会が東北大学大野総長を迎えて大阪ホテルグランビアで行われた。その後、恒例の講演会があり、本年度は3つの演題の中、学生(2名)の鳥人間コンテストの東北大学の活躍ぶりの興味深い講演があった。文学部左高匡伸(代表)君、工学部長田智亜葵(25代代表)さんの二人によるもので、講演は左高君がスライド34枚を用いて講演した。
滋賀県彦根市松原水泳場での鳥人間コンテストであるが、この鳥人間人間コンテストとは読売テレビが1977年ごろから琵琶湖を使ってその飛行距離と時間を滑空機部門と人力プロペラ機部門で競争させるもので、ご覧になった方も多いことと思われる。第1回ごろから興味を持ってテレビ観戦したり、毎年1年かけて琵琶湖一周歩行途中、長濱ー彦根間26k間、必ずこの松原水泳場を通り、東北大の人力飛行の快挙を思い出していた。NHKテレビ「舞い上がれ」も興味深く見ていた。いつからかこのコンテストに東北大学の名前が出るようになってはいたが、今回の講演では東北大学の学友会人力飛行クラブが一昨年36,686.8m、時間で1時間半以上飛行しこれまでの学生記録を更新して準優勝したことが報告され驚いた。
広い琵琶湖を彦根から対岸近くの沖の島、或いは竹生島に向かって飛んでゆくもので、場合によっては対岸から引き返して70kmを目標に2時間あまりペダルを漕ぎ続ける。強い琵琶湖の風の中を飛ぶのに相当な体力を要するものと思われた。ライト兄弟が飛ぶちょうど8年前、物理学者のLord Kelvinは空気より重い機械が地上から飛び上がるのは不可能であると述べたとのこと。この意見がその当時の意見の大勢だったのかもしれない。しかしあの広大な琵琶湖の上を流れる空気に数十kgほどの機体とパイロットを乗せ、その空気の流れに人力の許す限りあの長い羽を用いて飛び乗り、落下するまで2時間余り琵琶湖を飛び回るとはなんと大胆なことであろうか。
小生の大学同級生の阿部公夫君は仙台一高野球部、大学でも野球部に入って活躍したが、彼の高校野球部後輩が、大学入学後野球部入部を中止してこの鳥人間パイロットに挑戦して第34-35回ごろ東北大1位になった立役者だと言ってたのを聞いていた。暑い夏日、あの狭い機中、ペダルを漕ぎ続け、限界まで挑んだのを聞いていたので今回の講演は身近に感じた。阿部公夫君はこの後輩のため仙台から東京の、とある会社社長にまで鳥人間コンテスト援助依頼に行ったとも言っていた。
大学のクラブは1993年からスタート、当初は落選続き、滑空機部門から人力プロペラ機部門に転向してから記録が出始め、2006年初優勝(26km)、その後、波乱を乗り越えて2022年には再び1位、2023年には準優勝(43km)の歴史があり、優勝6回(23回出場)、鳥人間コンテストの強豪になってきた。しかしその快挙遂行のため、50-60名のクラブメンバーの一致団結した機体の製造設計もあってはじめて遂行されたという。しかも卒業までの間3年間でメンバーは入れ替わり、技術の継承も難しい。基本的には技術なども先輩の作ってきたものをそのまま継承し、大学の先生方のアドバイスなど取り込み少しずつ改良してきたという。蜘蛛の巣のようなネットワークが次第にひろがって強力なものができた。その間30年間続けてきたという東北人の粘りが、強さの秘訣だと左高君はいった。制作から運用まで300-400万円かかり、金がないときには先輩たちの援助が大きかったという。今や彼らを支えるのはボーイング社、富士化学工業、仙台科学館の協力があるようだ。その後の懇親会でも彼らと接触があり、彼らの話を聞くことができ、飛行機機体の製造の様子、仙台市近くの角田での試験飛行の様子等を聞くことができた。なんと言っても記録更新へのテレビ釘付けの子供達の応援、その後の「ありがとう」ということばの励ましが嬉しいという。こどもたちのテレビの前の大声を出してくれる応援ということだった。左高君も子供の頃このテレビ番組を見て、東北大学へ進学し鳥人間挑戦をやるんだと決めたそうだ。多くの小中高生のなどがテレビに夢中になり、自分の進路決定にするいいチャンスと思われた。卒業後の就職は航空機関連の仕事に就職するのかと聞くと、そんなことはないようでもっと広く社会に出てゆくという。鳥人間コンテストへのトライから色々なものが見えてきて、それをステップに学生はそれぞれ社会の多方面に飛び立っていくようだ。そこにも東北人の粘りが感じられた。
大学卒業して、こうして後輩学生達の若々しい活動状況を目の当たりにして、彼らが昨日の自分であり同窓会のありがたさをつくづく感じられた。鳥人間コンテスト講演のことから、後輩が東北大独特の粘りを思い出させてくれたなど、今までの自分の関西での生活が正しかったことが思われて愉快な講演会であった。
東北大・農・昭45