世界の四大文明が一斉に興った紀元前四〇〇〇年ごろ、わが国ではまだ縄文時代であり、狩猟採取と漁労の生活が続いていた。ようやく紀元前数百年になって、中国大陸から水田稲作が伝来して農耕生活が始まり、食料の心配がなくなると人口が増え、集落が大きくなって、各地に豪族が支配するクニが分立するようになった。そして紀元前四世紀に西日本、畿内のクニを統合して大和王権という古代国家が生したのである。  食料の確保は人間個人の生存に欠かせないことは言うまでもないが、人間社会の成立にも欠かせないことなのである。

 大和王権が成立する前には九州北部を中心にして数十のクニが分立していた。紀元1世紀ごろの中国の歴史書「漢書」には「楽浪(北朝鮮)の海中に倭人(日本人)あり、分かれて百余国と為す」とあり、紀元3世紀に書かれた「魏志倭人伝」には「倭国には59か国があり、そのうち邪馬台国は7万余戸、投馬国は5万余戸である」と記述されている。邪馬台国の跡地、そうでなければ大和王権の発祥地ではないかと推定されている奈良盆地の纏向遺跡は2キロメートル四方にも広がっている大規模の集落の遺跡であり、中央部には宮殿らしい大きな建物の跡があり,周辺には巨大な前方後円型古墳がいくつも残っている。

 古代史随一の知名人、邪馬台国の卑弥呼女王はどんな食事をしていたのであろうか。古代食の研究家、廣野 卓氏は纏向遺跡から出土した魚や動物の骨、植物の種子などを参考にして、卑弥呼が食べていたであろう食事を復元している。紹介してみると、主食は米、粟を蒸した強飯、鳥肉や魚肉菜などを混ぜた汁粥などであり、副食には魚介の鱠(刺身)や塩焼き、干物、ワカメやアラメのど海藻の熱汁、ダイコン、カブ、フキ、ノビルなどの塩茹でや塩漬け、茹でたサトイモ、桃、柿、梅、李、マクワウリなどの果物、栗、栃、榧などの木の実、それと口噛みの酒、あるいは果実酒、である。

 魏志倭人伝には「倭の地は温暖にして冬夏生菜を食う」、「食飲には高杯を用いて手食す」とあるから、民衆は魚の鱠や生野菜を盆に盛り、手づかみで食べていたらしい。まだ、料理法が発達していなかったからではあるが、なるべく調理に余分な手間をかけないで食材の新鮮な持ち味を生かす和食の起源がここにあると考えられなくもない

 

 

 

 

 

 

ダンボ

  さん

卑弥呼の時代に、主食、副食、デザート、それにお酒まであったとは驚きです。
それにしても、冷蔵庫がない時代に、魚介の鱠を食する事が出来るとは、鮮度管
理できる環境があったのでしょうね。

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ひいらぎ

  さん

調理せずとも食べることができる新鮮な食材が手に入る環境にあったというのは大きいですね。食文化の形成や発展には、さまざまな要因が影響しているとは思いますが、和食の場合は、こうした豊かな自然環境や気候の影響が強いような気がします。

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