日本人の誰もが朝食、昼食、夕食と一日に三度食事をするようになったのは江戸時代からである。古代から中世末期までは朝食と夕食の一日二食で過ごしていた。

 狩猟、採取の生活をしていた原始時代にはいつ食事をするかは決まっておらず、食べ物が手に入ったとき、あるいは腹が減ったときに食べていたのである。縄文人や弥生人が一日に何回食事をしていたかはわからない。しかし、炉に火を焚いて食事をするのは手間のかかる大仕事であったから、食事時は早朝か夕方に決めていたに違いない。奈良時代、平安時代の貴族階級は朝夕2回の食事をしていたが、宮中の下働きには昼に握り飯を支給していた。民間でも激しい労働をする農民、漁民、大工職人などは腹が空くので昼に間炊という間食をすることがあった。

 鎌倉時代になると朝廷をはじめとする公家社会では朝食を済ませた後、午後二時ごろに軽い昼食をして夕食は夜になってから摂るようになった。しかし、武士階級は戦場では別として、普段は一日2食で我慢していた。ヨーロッパ社会でも近世になるまでは一日2食の習慣がローマ時代から長く続いていたのである。

 日本でもヨーロッパ諸国でも、一日に3回、食事をするようになったのは僅か4百年ほど前からのことである。それまで1日2食が長く続いていたのは飢饉などが多く食料が十分になかったかである。人間は食べなければ生きていけないから、食べ物が乏しければ仲間と争いが生じる。そこで、人々は乏しい食料を仲間と分け合うために欲しいだけ食べることを慎んだのであろう。この習慣が仏教、あるいはキリスト教などと結びついて、1日に3度食べることを我慢する禁欲思想になったと考えてよい。今でも禅宗の寺院では朝食は粥1椀で我慢するのが修行になっている。中世のキリスト教社会では美味なものを食べるのを我慢するのは贖罪になると信じられていた。

 洋の東西共に食料がやや豊かになり、人間らしい生活ができるようになった近代市民社会の到来とともに1日3食の習慣が始まったと考えてよい。わが国でも江戸時代になって経済が発達し、灯火を灯して働くようになったので、夕食をとる時間が遅くなり昼食を食べておくことが必要になったのである。

 しかし、1日二食から三食への変わり方は東西で異なっている。日本では朝食と夕食であったところに、後から昼食が加わったのであるが、ヨーロッパでは昼食と夕食であったところへ朝食が加わって1日三食になったのである。ヨーロッパでは昼食が最も充実した食事であり、朝食はパンンとバターにコーヒか紅茶で軽く済ます習慣がある。日本では夕食に重きが置かれていて、昼食はとりあえず空腹を満たせばよいと軽く済ませることが多いのはこうした経緯によるのである。