砂糖がわが国に運ばれてきた最初は天平勝宝6年、754年、鑑真和尚が来朝した時である。鑑真が孝謙天皇に風邪薬として献上した砂糖は僅か2キログラムであった。中国ではすでにサトウキビから白砂糖を作ることが始まっていたが、日本では蜂蜜や糯米と麹で作った水飴、そして甘葛煎(あまずら)甘味料に使っていた甘葛煎(あまずら)は蔦から採取する甘い樹液を煮詰めたものである

このころ、中国から輸入される砂糖はごく少なく、貴族や富豪だけが薬用に、あるいは菓子を作るのに使う貴重品であった。砂糖の輸入が急に増えたのは安土桃山時代に南蛮交易が始まってからであり、オランダ船と唐船が日本に運んだ砂糖は年間1100万斤(6600トン)にもなったらしい。マカオで仕入れた砂糖は日本でその10倍ないし20倍で売れたと言う。砂糖の値段は高く、1斤、600グラムが米、2斗、30キログラムに相当した。

高価な砂糖は主に菓子の製造に使われ、カステーラ(加須底羅)、ボウロ(芳露)、カルメーロ(浮名糖)、アルフェロア(有平糖)、コンペイトウ(金平糖)など砂糖を多量に使った甘い南蛮菓子は人々を強く魅了したのである。砂糖を使って羊羹、饅頭が作られるようになった。  

しかし、江戸時代の初期に琉球や奄美大島で黒砂糖が生産できるようになり、八代将軍、吉宗が砂糖の国内生産を奨励したこともあって寛政年間(1789-1801)には黒糖を精製した白砂糖が讃岐で生産ができるようになった。讃岐で生産される和三盆は黒糖の糖蜜,灰汁を手揉みを繰り返して除去した精白糖であり、クリーム色を帯びてはいるがグラニュー糖にはない独特の風味がある。だが、砂糖は高価であり、料理には使えなかった。魚の照り焼きや煮物に甘みと照りをだすためには味醂を使ったのである。味醂は焼酎に米麹と蒸した糯米を加えて糖化させた甘味液であり、麺つゆ,蒲焼のたれにも使われた。

しかし、江戸後期に砂糖が1斤(600グラム)が8000円ぐらいで手に入るようになると、和菓子の製造だけではなく、料理にも砂糖を使うようになった。うま煮、煮つけ、酢の物、甘露煮、佃煮などをおいしくするのは濃口醬油に砂糖を合わせた濃厚な味であり、江戸っ子の好みに合った味でもあった。幕末の砂糖の消費量は国内産が増えて5000万斤、約3万トンに増えていたが、一人当たりにすれば年間で1キログラム程度であるから現在に比べれば15分の1程度の消費量である。

 明治になると台湾からの輸入が始まったが、それでも砂糖は贈答品、お祝品にも使われる高級調味料であった。砂糖の消費量が急に増えたのは戦後であり、昭和50年ごろには318万トンに達していたが、その後は食事の洋風化、異性化糖の使用、甘味を避ける健康志向などにより200万トンに減少している。一人当たりにすると14キログラムぐらいで、海外諸国に比べると少ない。

因みに、家庭での料理作りに使われるのはその2割ほどであると推定するが、それでも現代の和食ほど砂糖をよく使う料理は珍しい。牛肉や鯨肉を砂糖と醬油,生姜で濃く味付けしたものを大和煮と言うように、醤油と砂糖を合わせた味は和食の基本なのである。

一般に煮物でも5%、煮豆や甘酢、甘味噌であれば10%もの砂糖が使われている。おせち料理の田作り、黒豆、伊達巻、栗きんとん、なますなど には合計1000グラムもの砂糖が使われるという。これに比べて、西欧では料理に砂糖を使うことはほとんどないが、その代りに食後のデザート菓子にたっぷり砂糖が使われる。近年、家庭で料理に使う砂糖が減るのは和食を作ることが減ったからであろう。