季節ごとの年中行事には定められた食べ物を作って神仏に供え、家族や親類縁者が集まって祝う習慣が広まったのは江戸時代である。
これらの年中行事は古くより朝廷で行われていた節会や祭祀に由来するものが多い。正月には鏡餅、雑煮やおせち料理、7日には七草粥、小正月には小豆粥、節分には巻きずし、煎り豆、鰯、雛祭りには 雛あられ、草餅や白酒、端午の節句には柏餅と ちまき、七夕にはそうめん、お彼岸やお盆には団子、ぼた餅、そうめん、西瓜、中秋の名月には月見団子と里芋、大晦日には年越しそば、などである。正月に食べる雑煮は神様に供えた餅や里芋、大根などを「混ぜて煮る」ことに由来し、おせちは節句の祝い料理「御節供」の略語であり、重箱に豊作や多産、長寿などを願う祝い肴として黒豆、ごまめ(田作り)、数の子、里芋煮しめ、栗きんとんなどを詰め合わせる。里芋は稲作を始める以前からの大切な食料であったから祝膳によく使われる。
また、農村には農作業の節目に行う生活行事が多く、田植えや稲刈りが無事に済むと、手伝ってくれた近隣の人を集めて日ごろはめったに食べないご馳走で労をねぎらった。子供の誕生、初宮参り、初節句、七五三の祝いなどは赤飯とお寿司、尾頭付きの鯛などで祝った。赤飯の赤い色は古くから邪気を払い、厄除けの力を持つと信じられていたので祝い事には欠かせなかった。庄屋や名主の家の婚礼には二の膳付の本膳料理で鯛や海老、卵、かまぼこなどのご馳走が並んだ。白米、小豆、生魚、卵などを使ったこれらの行事食は今日ではそうでもないが、当時はめったには食べられない御馳走であった。
人口の75%が農村から都会に移動してしまった現在では、農村の生活行事は存在の意義を失って廃れてしまった。最近の都会では隣近所の人たちが一緒に食事をすることはほとんどない、おせち料理は正月三が日は煮炊きをしないで休息するために用意したのだが、今はコンビニが元旦から営業しているから作らなくてもよい。30年ほど前まではほとんどの家庭でおせち料理を用意していたが、最近では六割程度に減っているという。日頃は遠くに住んでいる子供や孫が親元に集まって正月をおせち料理で祝う風習も廃れていくのであろう。
毎日の生活や食事が質素で、変化に乏しかった昔は、ハレの日(特別の日)には日頃は食べられない御馳走を作って家族や仲間と一緒に楽しんだ。それを楽しみにして普段の粗食に耐えていたのである。今は食料が豊かになりかつてのお祭りのご馳走のような食事を毎日食べているから、行事食の存在意義は薄れるのである。
現在の都市の生活には季節の年中行事が少ない。中世の面影を残すイタリアの街には、昔どおり民族衣装を着て郷土料理を共にするコントラーダ(町内会)の集まりをいまだに継続しているところが多いという。ところが、筆者の住む新興住宅地では町内の新年懇親会を開いても集まる人は少ない。現代人が続けている行事食は、正月の雑煮とおせち料理、クリスマスのローストチキンとデコレーションケーキ、大晦日の年越しそばであろう。節分にはその年の恵方に向かって太巻き寿司を丸かじりする風習が大阪にあったので。この風習を取り入れたのがコンビニの恵方巻きである。昔どおりに、七草粥、お彼岸のおはぎ、土用の丑の日のうなぎ、冬至にはかぼちゃを食べるのは高年者であっても少ない。月見団子と里芋を供えて中秋の名月を愛でる人は百人に二人いるかいないかになった。時代が変わり、社会環境が大きく変わったので、昔の農村の行事食に代わる現代の食の行事はまだはっきりとは見えてこない。
