伝統的な日本料理には獣肉を使わないことが定めである。日本人が明治維新まで牛肉や豚肉などを食べなかったことは仏教信仰と深い関係がある。欽明天皇の13年、552年、百済から仏教が伝来すると、歴代の天皇は仏教を深く信仰して、殺生禁断の戒律を守るために肉食禁止の詔を7回も発布したからである。牛、馬、犬、猿、鶏を殺して食べてはならないという命令である。

 中国では殺生禁断の戒律は寺院の僧侶だけで守られ民衆に強制されることはなかったが、わが国では仏教が国家権力と結びついていたため、一般民衆にまで肉食禁止が強制されたのである。奈良時代の宮廷から始まった肉食の禁忌思想はその後、次第に一般民衆の食生活を規制するようになっていく。仏教信仰が民間にまで広まるにつれて、仏教で禁じている殺生をして肉を食べることは忌むべきこと、穢れた行為であると考えるようになり、牛、馬、鶏、そして卵を食べるのはタブーとなったのである。東南アジアの米作地帯では残飯で豚を飼って食用にするのが普通であるが、日本では平安朝以降は豚を飼うことも止めてしまった。

 それでは、昔の日本人は動物の肉を全く食べていなかったのかと言えばそうではない。縄文時代には猪や鹿などの肉は貴重なタンパク源であり、食べ残しを棄てた貝塚からは多くの獣骨が出土する。弥生時代には野獣、野鳥はもとより、家畜として飼っている牛、馬、豚や犬、鶏なども食用にすることがあったから、奈良時代になってにわかに殺生禁止令が発布されても野獣や野鳥を食べることは止まなかった。中世の武家社会では武術修練のために狩猟を行い、その獲物を食べるのはごく普通のことであり、雉、鶴、鴨、鶉などの野鳥は本膳料理や懐石料理の食材として珍重されていた。農民は農作物を荒らす鹿や猪を捕えてその肉を健康の維持、病人の体力回復のために「薬喰い」した。

近江(滋賀県)には古くから百済や新羅からの渡来人が定住していて牛の飼育が盛んであったから、ここを治めていた彦根藩は牛肉の味噌漬けを毎年、徳川将軍家と御三家に養生品として献上していた。江戸の市中には鹿肉を「もみじ」、猪肉を「ぼたん」あるいは「山くじら」と呼んで食べさせる店があり、鹿、猪、兎などの肉を葱と一緒に鍋で煮て食べさせていた。幕末には豚肉を使った琉球鍋もあり、これらの肉鍋はどれも一人前が100文であったらしい。

この頃になると鶏と卵を日常に食べるようになっていたが、しかし、家族同様に暮らしている牛馬は明治維新に肉食が解禁されるまで頑として食べなかった。このような歴史的経緯があるので、獣肉を使わずに魚介類や豆腐、湯葉などをタンパク源とすることが和食の長い伝統になっていたのである。

日本人が牛肉や豚肉を食べるようになったのは明治政府が奈良時代以来の肉食禁止令を解禁して、天皇の食事に牛肉や羊肉を使い、在日外国人高官を招く公式の晩餐会にはフランス料理を出すことを決めてからのことである。しかし、千二百年もの間、米、魚、野菜、味噌、醤油に慣らされてきた日本人の舌には牛肉、牛乳、バターなどの動物性の味はなじみにくいものであったから、牛肉料理やバターを使う調理はなかなか普及しなかった。日本人が肉料理を日常的に食べるようになったのは第二次大戦後のことなのである。第二次大戦前には一人当たり年間1.7キログラムであった牛肉、豚肉の消費量は戦後、10倍に増えて17.6キログラムになったのである。