幕末に横浜や神戸の外国人居留地に居住し始めた外国人たちの悩みは牛肉や牛乳が容易に入手できないことであった。伊豆下田の玉泉寺に滞在していた初代のアメリカ総領事、タウンゼント・ハリスは安政4年、1857年の日記に「米と魚と貧弱な家禽では食欲がなく体がもたない」と記している。困り果てた末に、玉泉寺の境内で肉牛を飼育して食肉にしたところ、殺生を嫌う村人の猛反対を受けた。幕府は慶応元年、1865年、横浜北方村に、慶応2年、武蔵国荏原郡に外国人のための食肉処理場を設け、明治2年には官営の築地牛馬会社が設立されて牛の解体、牛肉の販売が始まった。

 横浜の商人、中川嘉兵衛は横浜の処理場で仕入れた牛肉を江戸、高輪のイギリス公使館に納め、さらに江戸の近郊、荏原郡白金村に土地を借りて食肉処理場を開いた。処理場では四方に青竹を立て御幣を吊り、注連縄を張って牛の解体作業をしたそうである。彼は慶応3年、芝高輪に日本人向けの牛肉店「中川屋」を開いたが、店頭にお客が来ないので牛肉を岡持ちに入れて配達し、佃煮にして近くの慶応義塾の学生たちに売り歩いていたと言う。しかし、牛肉の需要は少しずつ増えて、明治8年には東京牛肉屋が8軒、食肉処理場が7か所に増えた。

 これらの牛肉は牛鍋にして食べることが多かった。荏原郡白金村の堀越藤吉が明治元年、東京露月町(今の港区新橋)に牛鍋屋「中川屋」を開店したのが牛鍋屋の第1号であるらしい。牛鍋の人気は庶民の間に広まり、明治10年には558軒の牛鍋屋ができた。その中でも繁盛したのは明治14年に開業した牛鍋のチェーン店「いろは」であった。「いろは」の店では二階の窓に西洋館を真似て赤・青・黄の色ガラスを市松模様にはめ込んで人目を集めた。創業者の木村荘平は20人もの妾にいろは順に名を付けた支店の店長を任せ、フロックコート姿で赤い人力車に乗って集金に回ったという逸話が残っている。また、今日の牛丼の元祖、牛飯屋が出現したのもこの頃である。牛肉のコマ切れに葱を入れて煮込みどんぶり飯にぶっかけた牛飯は1杯1銭であった。しかし、家庭では牛肉は依然として穢らわしい食べ物とみなされていて、すき焼きをする時は神棚や仏壇を閉じ、屋外に鍋を持ち出して食べる始末であった。

 牛乳を搾る商売が始まったのも横濱である。幕末には横浜の外国人居留地内とその周辺には外国人や日本人が営む乳牛牧場が20数か所できていた。日本で最初の酪農家は横浜でオランダ人から搾乳法を習い、横浜太田町で牧場を開いた前田留吉。だと言われている。我が国最初の写真師として知られている下岡蓮杖も明治初年、横濱の西戸部で牛乳販売をしていたことがある。明治6年頃には東京で牛乳の宅配が始まるが、牛乳は1瓶5銭であり米1キログラムが買える値段であった。

 ところで、西洋料理にはパンが付きものである。「パン」の語源はポルトガル語のpao、あるいはスペイン語のpanであると言われているように、我が国にパンが伝わったのは室町時代後期に南蛮船が来航したときである。しかし、その後は徳川幕府によって鎖国令が敷かれたのでパンは忘れられていたが、300年後の江戸時代末期に復活することになった。天保13年。1842年に、伊豆韮山の代官、江川太郎左衛門(坦庵)が兵糧用に乾パンを試作したのをきっかけに、江戸湾の海防に駆り出された各藩でも同様の乾パンが作られた。パン復活の地となった韮山代官所跡には「パン祖江川担庵先生」と記した記念碑が建ってる。 しかし、今のようなパンが作り始められたのはぺルリ艦隊が来航して横浜の外国人居留地に外国人が居住するようになってからである。応元年、1865年にはイギリス人ロバート・クラークが「ヨコハマベーカリー」を創業し、ビール酵母を用いる(ホップ種を使って)イギリス風の食パンを焼いて評判になった。中村八幡村の打木彦太郎はこのヨコハマベーカリーに見習い工として住み込んで働き、明治21年、クラークがイギリスに帰国するに際して彼のベーカリーを引き継いだ。現在、横浜元町で営業を続けているウチキパン店がそれである。

 東京では明治2年、1869年、旧水戸藩の武士、木村安兵衛がオランダ人にパンの製造を習って、東京の尾張町(現在の銀座5丁目)にパン屋、文英堂(後の木村屋)を創業し、パン生地を酒酵母で発酵させ小豆餡を芯に包んで焼いた「餡パン」を発売して大人気を博した。木村屋の餡パンは1個5厘であり、庶民には文明開化のシンボルであった。村安兵衛は「菓子パンの祖」と呼ばれていて、浅草東禅寺の境内に彼の功績を讃える彼ら夫妻の坐像がある。パンは米飯になじんだ日本人にはなじみにくい異国の食べ物であったが、餡パンはハイカラな菓子として人気になったのである。明治15年頃には東京のパン屋は16軒に増えたが、主食にパンを食べることは広まらなかった。              

しろくま

  さん

私は菓子パンが好きで、近所のお店に行ってよく買ったりしますが
この記事を読んでみると、歴史を感じさせてくれます。

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