食べることは人間にとって1日も欠かすことができない。それだけに、どのようにして食べ物を手に入れるかということは、その地域の人々の生活の在り方やものの考え方、ひいては民族の文化や思想に大きな影響を及ぼすのは当然である。食べることはあまりにも身近なことであるがために、私たちはその影響力を見落としがちであるが、農耕生活を営むか、牧畜生活をして暮らすかにより、その地域の人々の性格やものの考え方ががらりと違うものになっていることは事実である。その民族の食を考えることは、その地域の風土や文化の道筋をなぞることにもなる。

 日本人の伝統的な食事である和食の特徴は米飯を主食とすること、魚介類と野菜をよく利用すること、獣肉を食べなかったことなどであるが、このような食生活を二千年も長く続けているうちに日本人のものの考え方にどのような変化が生じたのであろうか。水田稲作を暮らしの基としているうちに、どのようなことが日本人の思想に刷り込まれたのであろうか。これらのことを、日本とは対照的な肉食文化を有するヨーロッパのそれと比較して考えてみることにする。

 紀元前数世紀、中国大陸から我が国に渡来してきた稲は高温で雨の多い日本の気候に適した作物であったから、水田稲作は数百年も経たないうちに全国に広がり、それ以来、日本人は米を主食として暮らすようになった。稲作をして米を収穫するまでには台風、洪水、旱魃など自然の脅威に脅かされることが多いから、自然の現象を支配し、豊かな稔りを授けてくれる太陽、風雨、水を集める山、水を流す川に対する畏敬の念が生じ、超自然神への信仰が生まれる。太陽神(天照神、明神)、雷神、山の神などがそれであり、人々は神に米と酒を捧げ、そのお下がりを頂くことで神の助けを得ようとした。神様に供えた酒と食べ物を皆で分けて飲み、食べることを「神人共食」というが、これは神と人、人と人との共同意識を固める重要な儀式である。この習俗は今日に残り、神社のお祭りや地鎮祭などでは祭壇に神酒と神餞を供え、祝詞を唱えて神の加護を願い、お下がりを皆でいただく直会(なおらい)をしている。

 農耕民族である日本人のみた自然は、神々が人間に都合がよいように作ってくれるものであった。だから、自然を都合よく動かしてくれるように神に祈るのである。そして、いつしか自然物のすべてに神の心が宿り、それによって自然現象がコントロールされていると信じるようになった。八百万の神々というのは、自然に存在する万物の数だけ神々が存在すると考える思想である。ヨーロッパ人とは違い、日本人は人間そのものを自然物と同列に置き、人間にも優しい神の性格が宿ると信じるのである。そのように自然界すべてを、人間と連帯させて捉えようとするのが日本人の自然観の特徴なのである。 自然現象は人間の手で勝手に変えられないというのは世界の民族に共通した認識であるが、幸いなことに、日本列島には稲作に適した高温多雨の穏やかな自然があった。時には台風などの被害を受けることがあるにもせよ、その自然環境はヨーロッパのそれに比べればはるかに穏やかで恵まれたものである。その影響で日本人には自然と人間を対立したものとみなす思想がなかった。自然とは人間が生きていくのに戦うべき相手ではなく、むしろ人間の味方と考えて、その力を貸してもらい、甘えることもできる存在として捉えようとする。だから、自然を擬人化して万物に神が宿ると考えるアニミズムの思想が生まれたのである。

押し寿司器

  さん

肉食が広まったのは明治からですもんね
共同意識なんかは日本の自然とマッチしている気がします

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しろくま

  さん

アニミズムの思想の根本を辿ると、水田稲作まで行き着くわけですね。
奥深いところですね。

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