水田稲作の大きな特色の一つは稲が連作可能な作物であるということである。農耕作物には毎年同じ土地に繰り返し栽培できるものと、そうでないものがある。稲は連作が可能な作物であり、養分は水田に流れ込む谷水、川水によって補給されるから施肥をしなくても収量が大きく減ることがない。しかし、山地が多い日本列島では水田に適した平らな土地は限られていて、しかもそこに水田を造成するには畑を開墾するよりも手間がかかる。だから、先祖が苦労して開いた水田を子々孫々が受け継いで耕作し続けることになり、当然ながらその土地に対する強い愛着が生まれる。そして、その水田の近くに寄り集まって暮らす数家族が閉鎖的な地域社会を作ることになるのである。先祖伝来の我が家の田畑という観念が生まれ、先祖崇拝や家督相続の習慣が生まれたのである。

 ヨーロッパの麦作農業ではこのような土地に対する強い執着心は生まれなかった。耕地の地力を回復させるために、村落の耕地を集めて三分画して、小麦、大麦、牧草を輪作する三圃制農業が行われていたからである。村落の耕地を一括して集め、村落民が共同して耕作するのであるから、個々の農家がもともと所有していた耕地に強く執着することはない。そこでは、農業を続けられるのは、先祖のお蔭ではなく、村の仲間との協力のお蔭であると考えるのである。後で述べるように、ヨーロッパ思想の根元にある強い社会共同体意識はこのような農業形態の違いから生まれたと言ってよい。

 稲作民族の土地に対する愛着はやがて稲作民族特有の愛国心を生むことになる。日本人の国家意識、民族意識はすべてこの土地に対する愛着を基にして生じたものである。日本人が「国」という言葉から真っ先に思い浮かべるのはその領土ではなかろうか、地図の上に塗り分けられた国土が日本人の国家観には不可欠である。日本人は国を愛することは他ならぬ国土を愛することだと信じて疑わない。国家と土地とを同一視して怪しまないのは稲作民族の国民性であり、一定の土地を領土として保有することが民族の独立に不可欠であると考えるのである。

 同じ愛国心であっても、ヨーロッパ人のそれは日本人の感覚とはかなり違う。愛国心はナショナリズムと訳されているが、日本人の愛国心は国土と密着した概念であるが、ヨーロッパ人のナショナリズムは土地よりも民族の人種意識に結びついている。アングロサクソン人ならアングロサクソン、ゲルマン人ならばゲルマンという一つの民族としての同胞意識、同じ人種であるという連帯感がヨーロッパのナショナリズムである。この民族ナショナリズムがもっとも強烈なのはユダヤ人であろう。古代ユダ王国がバビロニアに滅ぼされて以来、ユダヤ人は亡国の民と蔑まれて世界の国々を放浪しながらも民族としての誇りを決して失うことがなかった。彼らの思想の根底には、かつて遊牧民として特定の土地に縛られることなくオアシスを求めて移動した経験がある。彼らにとって国家とは民族の独立を保つために一時的に利用する一つの政治形態に過ぎないのである。

いわし

  さん

畑は大事ですよね
日本人というかアジア人の精神性は、稲作から発展したような気がします

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Shozzy T.

  さん

米と麦のどちらを作るか民族意識が違う、という見方は私にとって新鮮です。
大変参考になりました。

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おこめ

  さん

日本とヨーロッパの違いを感じる記事。
歴史の成りたちの違いを改めて実感。

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しろくま

  さん

稲作と民族意識には意外なつながりがあったわけですね。
今度は、実家の田んぼを見ながら、「クニ」にも目を向けていこうと思います。

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