牧畜民族と農耕民族では結婚についても考え方が違う。家畜がいつも身近にいるヨーロッパでは、人々は動物とは違う存在であることを日常生活のあらゆるところで確認しておく必要があった。そこで一番問題になるのが性交渉である。日本のように動物の性行為を眼にすることが少ない環境では,性を秘め事にしておくことも可能である。しかし、ヨーロッパでは子供のときから家畜の性行為を身近に見て育っているから、人間の男女の営みが動物のそれと同じであることをいやというほど思い知らされている。そこで、人間の性交渉はどうあるべきかという問題に真正面から対決せざるを得なくなる。

 遊牧民族であるヘブライ人には厳しい禁欲の思想があった。旧約聖書に記されているモーセの十戒では、姦淫ということを殺人などと並ぶ大罪としている。食草が少なく飼育できる羊の数に限りがあるから、遊牧民は部族の人口がむやみに増加することを嫌う。性欲の赴くままに性行為をすることを制限するために、神の定めた律法として姦淫を厳禁していたのである。この律法がキリスト教に伝わりヨーロッパ人の性思想となった。人間と動物を断絶して考えるキリスト教の立場から言えば、最も理想的なのは性交渉を動物的本能に基づくものとして否定し、異性に触れることなく一生を終えることである。カトッリク教会の聖職者独身制はこうして生まれたものであるが、それをすべての信者に強制することはできない。そこで考え出されたのが、男女の結婚を神の恩沢を授ける「秘蹟」とすることであった。新郎と新婦が生涯の伴侶となることを神に誓うことにより、神の祝福にあずかれることにしたのである。

 神の祝福を受けるためには教会で挙式することが必要になったのは1563年のトリエント公会議での決定からのことであり、それまでは教会での挙式は義務ではなく、必要なのは当事者が結婚しようとする意志を表示することだけであった。しかし、一旦結婚が成立すれば、夫婦どちらかが死亡した場合を除いて、結婚を取り消すことは許されなかった。教会が結婚の解消を容易には許さなかったのは、万物の主である人間が動物のように乱交、乱婚をすることを禁じるためであった。その結果が、一夫一婦制、および離婚禁止制になったのである。ついでながらヨーロッパでは近親結婚が厳しく禁じられていた。9世紀から12世紀の頃までは14親等の間柄まで結婚できなかった。現在でも8親等までは許されないから、従兄妹、従姉弟は結婚できない。ここにも血統の近い家畜を交配すると生存力の退化した奇形が生じやすいことを数多く経験してきた牧畜民族ならでは知恵が現れているように思う。

 これに対して、農耕民族は性について寛容だと言われる。むしろ乱交を認めるような行為を神聖な行事として行うことさえある。田畑を耕作する人間が多産であれば、田畑も豊作になると信じる素朴なアニミズムがあったのである。結婚、離婚は当事者同士の話し合いで自由に行え、近代になるまでは一夫多妻や近親結婚も許されていた。日本の神前結婚は三々九度の盃を交わして新郎新婦の夫婦固めの儀式が終わると、神主が祝詞を読み上げて二人の結婚を神に報告するという一方的な行為であり、キリスト教の結婚式のように当人同士の誓いと神の祝福を交換する契約行為ではない。農耕民族と牧畜民族の性意識の違いが結婚式の形式にも表れているのである。

 ヨーロッパの歴史は、日本などと比較にならぬほど戦乱に明け暮れていたが、戦争を行うのは男性の仕事であった。後に、海外への探検とこれに続く植民地作りを行うようになったが、これらも男性の仕事であった。アメリカの開拓もまた同様に男性によって行われた事業であった。だから、ヨーロッパでは女性を弱きものとみなす思想が生まれ、そして、弱きものなるが故にいたわらなければならないとする騎士道精神が芽生え、それがレディー・ファーストという習俗になったと言ってよい。農業を平和に営んでいた日本では、女性が活躍する場が多かった。農耕を始めたころは、どの地域においても男性は狩猟と漁猟に出掛け、農耕は女性を中心に営まれることが多かったから、女性は男性とほぼ同等の貴重な労働力であった。さらに農耕民族にとって最大の願いは作物の収穫の多いこと、即ち多産豊穣であり、子供を産むことができる女性が豊穣の象徴として尊重された。だから、女性を蔑視することはなかったが、その反面、女性を特別にいたわる道徳も成立しにくかったと言ってよい。

スターミー

  さん

14親等まではすごいですね。今やろうとするとかなり厳しくなるのではないでしょうか?
親戚で結婚できる国は、それなりに少ないのも名残なんでしょうね

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ナズナ

  さん

救済という概念があまり日本にないですよね
「人に迷惑をかけるな」の意識がどうも強いように感じます

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ブーゲンビリア

  さん

レディファーストってもしかしたら差別的な起源があるんでしょうかね
かよわいものだと思っていなければ、そんなことも起こらないはずです

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コクーン

  さん

一夫一妻っていつからなんでしょうね?
昔はもっと男一人が複数の女性を囲っていたと聞きました。

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このしろ

  さん

男性と女性で役割は伝統的に違っていますけど、今はだんだん均質化していますよね
これが進歩なのか、それともダメなのかは歴史が判断してくれるでしょう

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ほっかいどう

  さん

いつも楽しく読ませてもらっています
水田から牧畜まで社会性に影響を与えているのだと思うと、なかなかおもしろいですよね

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いのしし

  さん

ヨーロッパと言うか、アブラハムの宗教は姦淫を戒めるように思われます
反農耕民族的と言うか、反アニミズム的ですよね。なんでそんなにコントロールしたがるのか分かりません

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もろふし

  さん

弊社はテレビ番組の制作をしておりまして、
現在、番組にて現代人の平均摂取カロリーより、
戦後の人々の方が平均摂取カロリーが高かった理由について調べております。

情報を集めていく際に、橋本直樹先生の食の社会学研究会代表ブログにたどり着きました。
なぜ、昭和の人々の方がカロリーが高いのか教えていただきたいです。
そこで、1度お電話をさせて頂きたいのですが、いかがでしょうか

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LOVE

  さん

結婚の「カタチ」には色々なものがあるのですね。
勉強になります。

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しろくま

  さん

牧畜民族としての知恵は、結婚にも生かされるわけですね。
興味深い記事です。

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