人は食べ物を家族や仲間と分け合って一緒に食べる動物である と言われているように、仲間と一緒に食事をすることは原始の時代から人間だけが行ってきた文化行為なのである。動物としては体力の弱い存在であった人類は、仲間と協力しなければ獲物を捕えることが難しかったから、捕えた獲物は仲間と分け合って一緒に食べたのである。動物は獲物を得ればすぐに奪い合いになる。100万年の昔、人類が火を使うことを覚えたとき、人々は炉を囲んで暖を取り、火を使って食べ物を調理して一緒に食べることを始めた。食物を一緒にたべることで仲間の結束を固め、食物を分け与えることで愛情や友情を示したのである。それから食事の場は人々が集まり憩う中心になった。これが仲間と一緒に飲食する「共食」の始まりである。ファミリー(家族)とは大鍋を囲んで食べる人を意味し、一緒にパンを食べる人がコンパニオン(仲間)であるように、食物を家族や仲間と一緒に食べることは家庭や社会集団を形成する基本行為であった。人間だけが食物の分配と共食をすることにより、家族という特有の集団を築くことができたのである。

 食べるということには人間の肉体を養うだけではなく、人の心を育てる役割がある。敗戦直後の食料難の時代には、家族が乏しい食料を分け合って暮らし、家族の中心は「食べること」にあった。世界のどの国でも食料の乏しい時代には家族は一緒に食事をしたのであり、親は空腹を我慢しても子供には腹一杯食べさせようとした。子供心にも親の有難さ、食べ物の大切さは身に沁みて分かるから、一緒に食事をすることが家族の連帯感を生みだしていたのである。 家族以外の仲間と一緒に食べる「共食」も大切である。古代ギリシャではシュンポシオンという会食が日常的に行われていた。シュンポシオンとは一緒に飲むという意味である。当時の貴族や裕福な市民は地中海の豊かな自然が与えてくれる穀物、果物、野菜、魚介を楽しんでいた。彼らは十数人集まり、寝椅子に凭れて奴隷が運んでくる料理を摘まみ、水割りワインを飲みながら政治、芸術、哲学などをテーマにして話し合った。

 我が国でも邪馬台国の時代には、部落の全員が集まって神様に酒と飯を供えて豊作を祈願し、供物のお下がりを皆で頂く神と人の共食が行われていた。この時代の農耕は村落全員の共同作業であったから、収穫した作物は村落全員で分かち合い、全員が酒を飲み交わして団結することが必要であった。古代の王国では、仲間と一緒に飲食することは部族の連帯感を高める大切な祭りごとであり、支配者も被支配者も、集落の全員が同じ酒を飲み、同じものを食べるのである。奈良、平安時代の貴族社会、中世の武家社会では一族、郎党を集めて宴会をすることがしばしば行われた。同じ料理を食べ、酒を回し飲みして、主従関係を確かめ、一族の結束を固めたのである。日本料理の発展の歴史を振り返ってみても,平安時代の大饗料理、中世武家社会の本膳料理や懐石料理、江戸町人社会の会席料理などはどれも客をもてなす宴会食として誕生したものである。

 現代でも戦前までは、季節ごとの年中行事や冠婚葬祭にはご馳走を作って、親類縁者や近所の人たちが集まって会食する習慣があった。冠婚葬祭の中心は宗教的な儀式より、儀式が済んだ後で行う宴会にあった。また、農村には農作業の節目に行う生活行事が多く、田植えや稲刈りが無事に済むと、手伝ってくれた近隣の人を集めて日ごろはめったに食べないご馳走で労をねぎらった。このような会食に参加することは村人の義務であり、行事食を一緒に食べることにより村落共同体の一員になれたのである。 ところが、人口の75%が農村から都会に移動してしまった現在では、このような会食は存在の意義を失って廃れてしまった。最近の都会では隣近所の住民が一緒に食事をすることはほとんどなくなっている。中世の面影を残すイタリアの地方都市には、昔のコントラーダ(町内会)ごとに、昔の民族衣装を着て郷土料理を共にする集まりをいまだに継続しているところが多いという。ところが、筆者の住む首都圏の新興住宅地では町内の新年懇親会を開いても集まる人は少ない。近隣の人々と食を共にするという習慣はほとんど失われていると言ってよい。しかし、結婚式や仏事、職場の旅行、慰安会、会社のOB会、同窓会、趣味の集まりなどには、必ず会食がつきものである。「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、一緒に食事をすることでお互いの心が通い、仲間の結びつきと信頼感が育つのである。多様な文化や民族が交錯し合う現代にあっても、食卓を共にして行う対面コミュニケーションが重要であることには変りがないだろう。