中世ヨーロッパ社会の食生活を規制していた思想はキリスト教の禁欲主義であった。 そもそも、キリスト教では、人間には食に関する「原罪」があるとされている。 イエスは「罪は外から体の中に入ってくるものや食べ物から生まれるのでなく、人間の内部から生まれる」と教えているので、大食や暴食は罪になるのである。そこで、神の僕である人間には食に対する清貧、貞節、従順などの節制が求められることになる。節制とは肉食という快楽に対する禁欲でもあるから、肉食という快楽を徹底して否定するのである。食べることは信仰生活を支えるものであっても、快楽を得るためのものではないから、美味であり、且つ淫欲を掻き立てる肉食をしないことが贖罪になるのである。修道院では肉を食べないで、豆と野菜の食事を基本とする二食で過ごしていたし、一般の信徒もキリストの死を偲ぶ金曜日には肉食をしなかった。そして、食事の前には胸に十字架を置いて、日々の食事を与えたもう神の恩沢に感謝してから食べる習慣が今も続いているのである。 食べ物が乏しかった時代には食事を楽しむことが人生の大きな目的になるが、このような願望に溺れることは本能の赴くままに生きることでもある。ここに、本能的な食の欲望を抑制することによって人間らしい生き方ができるという思想が生まれるのである。
キリスト教やユダヤ教には、断食は贖罪になるという思想が古くからあった。イエスが荒野で40日間断食して修行したことに倣って、イエスの復活を祝う復活祭の前の40日間(四旬節)には肉食をしない断食が行われていた。もっとも、四旬節が行われる冬の終わりには、秋に蓄えて置いた塩漬け肉が底をつくので、肉を食べないで辛抱する実際的な必要もあったらしい。数週間にわたる完全な断食は聖人でなければ成し遂げられないが、それほどでもない軽い断食ならば、キリスト教をはじめ世界の多くの宗教社会で僧侶や修行者だけではなく、一般の信徒も実践した。例えば、ユダヤ教の断食は厳格なもので、安息日には一切の飲食が禁じられている。イスラム教徒はラマダーン(断食月)の1か月は日の出から日没までなにも食べず、水も飲まない。暑く乾燥したところで水も飲まずに我慢して働くことは大変つらいが、それだから神にすべての過去の罪を許され、恵みを与えられると信じている。キリスト教徒にも断食をしなければならない日が定められている。普段の断食日は精進日とも呼ばれていて、肉を食べずにいるだけでよいが、四旬節の断食には肉と脂、チーズや卵も食べてはいけない。四旬節,四季の祭日とその前日、6番目の曜日(金曜日)など、断食するべき日を数えると、年間に合計、93日にもなったという。
中世ヨーロッパにおける食の思想のもっとも大きな命題は、食料の不足にどのように対処するかということであった。ヨーロッパは中・高緯度地帯にあって、その冷涼な気候と痩せた土壌は穀物生産に適しているとは言い難い。米作、あるいは麦作ができる中・西アジアとは違って数分の一の収穫しか得られないのである。牧畜をするにしても農業がこのような状態では、大きな人口を養うことはできなかった。12世紀ごろになると農業革命が起こり,農産物と畜産物の生産が増えて、それまでの厳しい状況は少しばかり好転したであろう。とはいっても、民衆に十分な食べ物を保証し、飢餓の恐怖を払拭できるほどのものではなかった。余剰の食料が貯えられない状態であるから、気象の変動が直ちに飢饉を誘発し、生活を脅かした。このような不安定な食料事情において、禁欲、節食、断食の思想は生まれるべくして生まれたと理解してよい
しかし、19世紀になると、農業をはじめとする食料生産経済が着実に発展し、輸送手段や市場組織の整備によって、食料供給が一段と安定化してきた。すると当然のことながら、このような近代社会においては、食事の摂り方にも変化が現れる。、代わって登場してくるのが美食の願望である。食べ物の量と種類の多さを問題にしていたのが、食べものの美味を追求することに変るのである。
うんこ
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