江戸後期、文化文政の頃(1804~1830)になると、富裕な商人や文人、役人が遊興する高級な料亭が現れた。料亭の始まりは京都の清水寺や祇園社(八坂神社)の門前に現れた料理茶屋であるが、江戸では深川洲崎に開業した升屋が最初である。続いて、八百善や平清など高級な料理茶屋が次々に開業し、そこでは贅沢な会席料理を食べて酒を飲み、踊りや唄、会話を楽しむことができた。会席料理は客を招待して酒を飲んで会食するための料理であり、今日の和食会席がそれである。上質な食材を味よく調理して、美しい食器に盛り付けた料理を、見事な庭園が眺められる座敷で、芸妓なども交えて酒を飲みながら楽しむのである。

名料亭として評判が高かった浅草山谷の八百善の会席料理の献立の一例を紹介しておこう。本膳には、前菜として平皿に甘鯛と鴨肉、松茸,慈姑(くわい)、芹を取り合わせて出し、向付の器には(ひらめ)烏賊(いか)の刺身に独活(うど)、岩茸、青海苔、生姜を添えてある。吸い物は鱚の摘み入れ汁、香の物は押し瓜、茄子奈良漬と しん大根であった。二の膳の猪口の椀にはつくしと嫁菜の浸し物があり、箸休めを入れる壺には赤貝の柔らか煮、焼き栗と銀杏が入っていた。清汁の具はあいなめと葉防風であり、三の膳の鉢肴料理は小鯛のけんちんと煮唐辛子であった。会席料理は酒宴をするための献立になっているので、飯と香の物は最後に出される。

   また、会席料理は見せる芸術でもある。包丁の技を振るって刺身を美しくつくり、里芋や人参の形を整えて煮物にする。そして美しい絵皿に食べやすいように形よく盛り付けるのである。西洋料理では皿を俎板代わりにしてナイフとフォークで切り分けて食べるから、盛り付けはしなくてもよい。また、日本料理を食べる楽しみの一つはどんな椀や小鉢で給仕されるかである。日本料理では、料理を一人分ずつ銘々の膳に配るから、どのような椀や小皿、小鉢などを使うかに趣向を凝らす必要がある。汁物や吸い物には熱が伝わりにくい漆器の椀を使うが、料理を盛る鉢、小皿、小鉢には薄くて口当たりのよい色絵の磁器を使う。色絵磁器の食器を使うのは有田や瀬戸、京都で磁器の生産が本格化した江戸後期からのことであった。料亭では蒔絵を施した黒塗り、朱塗りの椀に、白地に色絵を施した丸皿や角皿、小鉢を組み合わせ、料理に鮮やかな彩りを加えることを競う。どんなに立派なレストランでも、同じような白い大皿とカップで給仕される西洋料理とは趣向が違うのである。中国では、数人分の料理を盛る大皿とそれを各自が取り分けて手元に置く小皿を数枚使うだけであり、料理に合わせて食器を使い分ける習慣がない。日本料理ほど料理に合わせて大小の食器を数多く使い分ける料理は他の国にはないのである。

 料理を楽しむ座敷の「しつらえ」も楽しい。床の間には自然の風景を描いた軸を掛け、季節の花を活け、香をくゆらしたりする。座敷から美しい庭園を眺めるのも楽しみの一つである。しつらえとは食事の場を楽しくする演出なのである。日本料理で大切にされるのは飾るという美意識であり、趣向を凝らす気配りである。料理人が客をもてなすメッセージを料理に込めるとすれば、しつらえや趣向は主人が客に対して伝えるもてなしのメッセージなのである。 このような料理の楽しみ方は、奇しくも同じころヨーロッパの中心であったフランスの市民社会で発達した美食術にも共通している。、日本の会席料理とフランスのレストラン料理は、食べるものに余裕が生じ、富裕な市民階層が食べることを楽しめるようになったことを背景として、生まれることのできたレベルの高い料理文化なのである。