18世紀のヨーロッパで産業革命、市民革命が起きて市民階級が豊かになると、人々の食に対する意識や考え方が変り始めた。それまでヨーロッパ人の食生活を支配していていたキリスト教の禁欲主義が後退し、おいしい料理を楽しむ美食文化と栄養を重視する食事思想が現れた。動物的な食欲が充足されると、人々はおいしいものを食べる享楽を求めるようになったのである。

  食欲の充足には常に生理的快感が伴う。だから、富裕な人々は昔から大食や美食を楽しむことに熱心であった。ことに、温暖で食料が豊富な地中海沿岸のラテン文化圏には食べることに熱心な金持ちが多かった。古代ギリシャのシュンポシオンンの宴会やや中世イタリアのメディチ家の豪華な晩餐会などがそれである。中国の皇帝や日本の大名も何十種類もの料理を並べる豪華な宴会を楽しんでいた。18世紀の清王朝の爛熟期には、皇帝や皇后の食事には毎回、100皿の料理、30皿の点心が用意され、富裕な商人は3日にわたり200皿の料理を楽しむ満漢席という大宴会をするなど、常軌を逸したことが行われていた。洋の東西を問わず、王侯貴族は宴会好きであったから、彼らの館の厨房では料理長の指揮の下で大勢の料理人が働いていた。フランス国王の厨房には73人の宮廷料理人がいたという記録がある。有名な料理人タイユバンこと、ギヨーム・ティレルはシャルル6世の料理長であった。

  しかし、市民階級の人々にはそのような美食料理を楽しむ機会はなかった。ところが、18世紀の末、フランス革命が起きて王家が滅亡すると、職を失った宮廷料理人たちはパリの街においしい料理を提供するレストランを競って開いた。レストランはそれまでになかった商売であり、お客の求めに応じて高級料理を提供するのである。レストランができたことにより、どんな人でも15フランか20フランを用意すれば、王侯貴族と同じ料理を食べることができるようになった。かくして、レストランはフランスに始まってヨーロッパ中に広まり、そのお蔭で贅沢な美食料理が民衆のものになったのである。

  このような経過を経て誕生したフランスのレストラン文化は、優れた美食術として世界無形文化遺産に登録されているように、他の文化圏には見られないほど精神的な要素に富んだ料理文化であった。美食の思想を論じたことで有名なブリア・サヴァラン(1755-1826)はこの時代を生きた食の思想家である。ブリア・サヴァランを有名にした著書「美味礼賛」は1826年に出版された。この著書は「美味礼賛」と邦訳されているが、原題は「味覚の生理学」、副題が「美味学の瞑想」である。料理法の本でもなければ、生理学、栄養学の本でもなければ、食通のマニアックなグルメ談義でもなく、美食こそ精神生活の根源であると説く哲学書というべきものである。ブリア・サヴァランは美味とは何かを考え、美食をする精神的な意味や役割を追求したのである。食の快楽の本質を論じた思想本はこれが初めである。

       以下  25に続く