「美味礼賛」を著して美食の思想を論じたことで有名なブリア・サヴァラン(1755-1826)は、フランス中部の小都市、ペレに生まれ、パリで弁護士、裁判官として活躍したが、教養のある食通としても知られていた

  「美味礼賛」には、オムレツやフォンデュ、ブイヨン、ポタージュの作り方、雉や七面鳥の料理、魚醤、トリュフ、コーヒー、チョコレートなどについての彼の豊かな薀蓄が機知に富んだ筆致で紹介されているが、贅を尽くした美食料理そのものを礼賛するものでは決してない。彼が主張しているのは「禽獣は喰らい、人間は食べる。教養ある人にして初めて食べ方を知る」という美食学(ガストロノミー)である。つまり、食べる快楽についてあれこれと思索し、おいしいものを食べることを、単なる味覚の本能的充足だけに終わらせることなく、精神的な喜びにまで高めることであった。当然ながら、ガストロノミーとは無神経に食べ、暴飲、大食をするグルマンディーズとは区別されるものであり、美食を精神的に究める食事文化なのである。サヴァランは美食が人間の精神活動に影響を及ぼすことを指摘し、食べることの快楽と食卓の快楽を区別している。食べることの快楽は食欲を満足させる生理的な快楽であるが、食卓の快楽は、食事を共にすることに必要な文化的要件を総合したものであり、創造的な快楽であると言っている。  「(私の目指す)美食学とは、食品が人間の精神の上に、その創造や英知や判断や勇気や知覚の上に、及ぼす影響を考えるのである」

  「食べる喜びは我々も動物も同じである。それには飢餓とそれを満たすに必要なものとがありさえすれば足りる。しかし、食卓の喜びは人類だけに限られたものである。それは食事の用意、場所の選択、会食者の選定など、いろいろな心づかいがなされて生まれる・・・・会食に招く人々はお互いによく知り合っていて、常に会話に参加できるように12人を超えないこと、男子は機知豊かで、しかも出過ぎず、女子はコケットに過ぎざる程度に愛嬌のある人を選ぶ、料理は滋味豊かなものを選ぶが、皿数は多過ぎぬように、料理の順序は実質的なものから軽いものへ、酒は吟味して、コーヒーは熱く、茶は濃すぎぬように、・・・・そして、十分な時間をかけねばならない・・・・だれかを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間、その幸福を引き受けるということである」

  このように、ブリア・サヴァランは会食することの楽しさを礼賛してはいるが、宴会などで大勢揃って食べるのはガストロノミーではないと述べている。彼の考えによれば、食べることはその人の哲学であり、自分のライフスタイルにどのように食を組み込むかということが大切なのであり、個人の生き方にかかわってくるのである。ブリア・サヴァランは、人間は本来、味覚を愛する美食愛、グルマンディーズをもっているが、その美食愛を精神的に深めることが美食術、ガストロノミーであると言っている。その意味で、ガストロノミーは食の哲学であり、美食の人間学であると言えるのである。

  ブリア・サヴァランとその教養ある仲間たちが美食を楽しんでいた時代から200年経った現在、ごく一般の市民も豊食、飽食の毎日を過ごすようになった。日本では家庭料理が驚くほどに多様になり、豊かになった。外食店も手軽に利用できるようになり、ことに東京では世界中の美食料理を楽しむことができる。日常的に食べているものが、かつて結婚式やお祭りの日などに食べていたご馳走のようになっているのであるが、それを楽しむ人の心は逆に後退したように思う。1億総グルメと言われているのであるが、その多くは生理的な美味を追求するグルメであり、ブリア・サヴァランなどが理想とした「精神的快楽のグルメ」ではないように思うのである。