日本では、独自の本草学が発達していたにも関わらず、食物の薬効に頼って病気を予防し健康を増進しようとする医食同源の思想は大きく発展しなかった。江戸時代によく読まれた「養生訓」の著者である貝原益軒(1630-1714)は本草学者であったが、薬効のある食物を積極的に摂ることは勧めていない。「淡泊なものを食べ、こってりしたり、油気のあるものをたくさん食べてはいけない」、「珍しいものやおいしいものに出会っても八、九分で止めるのがよい」とひたすらに飲食に対する欲望を控えて、節制することを勧めているのである。当時の日本では、病人や虚弱体質の人には滋養のある食物を摂ることを勧めたが、食物と薬は別扱いにされていたのである。

 貝原益軒は飲食、性欲、睡眠などの欲望を抑えて禁欲することによって、元気をそこなわず、病なくして天年(寿命)を長く保つべしと教えた。このように欲望を禁欲し、節制すれば健康に過ごせるというのが近世日本人の考え方であり、「養生訓」はこの思想を代弁するものとしてベストセラーになるほどよく読まれた。 主なる記述を紹介してみる;

「およそ養生の道は、内欲を我慢するのを根本とする。・・・・飲食を適量にして飲み過ぎ食い過ぎをしないことだ。脾胃をきずつけ、病気をおこすものは食べない」

「元気は生命のもとである。飲食は生命の養分である。だから飲食の養分は人生の毎日でいちばん必要なもので、半日もなくてはならない。しかし飲食は同時に人間の大欲で、口や腹の好むところである。好みに任せてかって気ままにすると、度をこえて、かならず脾胃をそこね、いろいろの病気をおこし命をなくす。」

「五味偏勝とは一つの味を食べすぎることをいう。甘いものが多すぎると腹がはっていたむ。辛いものがすぎると気がのぼり、湿疹ができて眼が悪くなる。塩からいものが多いと・・・・五味をそなえているものを少しずつ食べれば病気にならない。いろいろな肉も、いろいろな野菜も、同じものを続けて食べると とどこおって害がある」

「すえた御飯、腐った魚、ふやけた肉、色の悪いもの、臭いのわるいもの、煮えばなを失ったものは食べない。朝夕の食事のほかに、時間外に食べてはいけない。また時期が早くて熟していないものなど、時ならぬものは食べてはいけない」

「ものを食べるとき「五思」というものがある。第一はこの食は誰が下さったかを思わなければならない。第二には、この食事はもと農夫が骨を折って作り出した苦しみを思いやらねばならない。第三には、自分に才徳や正しい行ないがないのに、こんなおいしいものをいただけるのはたいへん幸いである。第四には、世の中には自分より貧乏な人がたくさんいる。そういう人は糠や糟でもよろこんで食べている。自分はおいしい御飯をじゅうぶん食べて、飢える心配がない。これは大きい幸福ではないか。第五に、大昔のことを思うがよい。大昔には五穀がなく、草木の実と根・葉を食べて飢えをまぬがれていた。・・・・今日、白いやわらかい御飯を炊いてじゅうぶん食べ、またそのほかに吸い物があり、副食があり、朝夕じゅうぶん食べている。だから朝夕食事をするたびに、この五思のうち、一、二でもよいから、かわるがわる思いめぐらして忘れてはならない。そうすれば日々に楽しみもその中にあるだろう」 

 貝原益軒が提唱したこの「五思」が、禅寺で食事の前に念じられる「五観」に酷似しているのは偶然ではない。鎌倉時代の禅僧、道元禅師が説いた「感謝して食べる」という食事思想が、数百年の間に民間の食生活に取り込まれていたからである。食欲の命ずるままに、欲しいだけ食べてはならないという益軒の食事思想は今日でも十分に通用することである。