昨年で平成の時代が終わった。第2次大戦後の昭和、平成と続いた74年間は日本の社会がかつてなかった規模で大きく変化した時代であったが、それと共に私たち日本人の食生活もこれまでになかった大きな変貌を遂げた。来るべきポスト現代、令和の時代には再び大きな社会変動が起きると予想されているが、その時、私たちはどのような食生活をすることになるのであろうか。

 そのことを考えるためには、まず戦後の昭和、平成の時代がどのような社会であったかを省みてみることが必要である。幸い、日本人は元号が改まるごとに歴史を区切って考える習慣がある。明治以降は天皇一代一元号と定められているので、明治は西欧の文明を取り入れて近代国家を建設した時代であり、大正は西欧の資本主義経済が定着して近代社会が成立した時代であり、戦前の昭和は日中戦争、大東亜戦争と続いた軍国主義の時代であったとみなすのである。

 第二次大戦後の昭和の時代は、あたり一面の焼け野原となった日本が経済復興して世界第二のGDPを誇る経済大国となるまでに高度経済成長した生産の時代であった。欧米に負けない豊かな民主社会を建設するという共通の目標を掲げて国家も民衆も共に努力、邁進した集団主義の時代でもあった。しかし、戦後日本の繁栄をもたらした高度経済成長が昭和48年と54年に起きた二度の石油ショックと60年のプラザ合意による円高政策によって勢いを失い、行き場を失った投資マネーがバブル経済を引き起こして破綻することによって昭和という成長と繁栄の時代は終わった。

日本の元号の変わり目が世界史の大転換と符合するなどということはめったに生じるものではないが、平成の幕開けは第二次大戦後から続いていた東西冷戦の終結と重なっている。そして、新自由主義のグローバルな市場経済が一挙に押し寄せてきたのである。しかし、日本では戦後の目覚ましい社会発展を牽引してきた経済成長が停滞し、不安定になり始めた。社会の成長を示す実質GDPの伸びは、高度経済成長の時代には年率11%であったが、平成に入ると1%弱に低迷するようになった。高度に成熟した資本主義社会の抱える矛盾と限界が日本でも顕在化してきたのである。そして、社会の高齢化と少子化が急速に進行して社会の成長力が失われていく不安の時代になった。人々の社会行動と価値観が多様化する個人主義の時代に変わり、経済も生産に代わって消費が主導する時代になった。一般には昭和、平成の時代は戦後の74年と一続きのように考えられがちであるが、そうではなく、昭和と平成の間にはこのように大きな社会転回があったのである。

  このような社会の転回に関連付けて考えてみると、戦後、日本の食生活に起きた大きな変化も、昭和の時代に起きたことと平成の時代に起きたこととでは全く様相が違うのである;

第二次大戦後の日本は深刻な食料難に陥っていた。そこで、化学肥料や化学農薬を活用して食料の大増産を行い、それでも不足する食料は海外から輸入して補うことにした。米飯中心で栄養バランスの悪い伝統的な和風の食事を改め、肉料理、乳製品を多く摂る欧米風の食事をすることにしたので、国民の栄養状態は急速に改善され、世界有数の長寿国になった。スーパーマーケットやコンビニには全国各地から集められた食材、海外から輸入された食品が溢れ、便利な加工食品が数多く販売されている。この外にも、すぐに食べられる弁当や総菜があり、外食店も気軽に利用できるようになった。高度経済成長のお蔭で国民の収入が増え、生活費に占める食費の割合、エンゲル係数は22%に低下し、誰でも、どこでも、好きなものが、気安く食べられる豊かで便利な食生活が実現したのである。

  しかし、平成の時代になると、人々はこの豊かで、便利な食生活に慣れて食物を大切にしなくなり、食事をすることを疎かにするようになった。安価な輸入農産物に押されて国内農業が衰退し、食料自給率が40%に低下して食料の安全保障ができなくなったのである。それなのに、人々は多量の食料を惜しげもなく使い残し、食べ残して、全体で3割近い食料を無駄に捨てている。食べ物が有り余っているのをよいことにして過食、飽食するから肥満者が増え、それが誘因となって生活習慣病が蔓延してきた。家庭で調理をすることが少なくなり、自分勝手に食べる個食、家族が違うものを食べるバラバラ食、子供だけで食事をさせられる子食が増え、このままでは食卓での団欒が少なくなって家族の絆が失われるのではないかと危惧されている。昭和の時代に実現した豊かで便利な食生活は、平成の時代になると一転して飽食と崩食の乱れた食生活に変わったのである。

  現代の食生活に起きたこのような変化の背景には、世界規模でみれば、近代社会の基幹である市場経済資本主義の拡大と科学技術の進歩があった。国内でみれば、高度経済成長、近代核家族の成立とその個人化、女性の就業率の向上と家庭生活の変容、急速な老齢化と少子化、単身家庭の増加などの社会現象が進行している。現在の日本に起きている食の病態と混乱は、少なからずこれらの経済情勢、社会構造の変化に起因していると解釈できる。良くも悪くも、社会学的にみれば起きるべくして起きた混乱であり、もはや食の世界だけの対処では解決できない問題になっている。

  近い将来、大量生産、大量消費の世界市場経済はいくつかの限界に直面してこれ以上に拡大成長できなくなり、持続可能な経済社会に転回することを余儀なくされるに違いないが、日本とても例外ではないだろう。情報技術や生命科学などの技術革新によって現在の繁栄を維持しながら、持続可能な共生社会に転じようとするポスト現代において、私たちの食生活だけが無条件でこれまで通りであり続けられるとは思えない。

  今後いくら科学技術が進歩しても食料は人工的に作れるものではなく、人間が生きるために食べるということが不要になるものでもない。それなのに、今や世界の食料生産量は限界に達し、近い将来に世界規模の食料不足が訪れようとしている。その時、食料自給ができない日本はどう対処すればよいのであろうか。 そのことを考えるならば、私たち日本人は豊かで便利になりすぎた食生活を漫然と享受していないで、この豊かな食生活を今後も持続できるように食生活における行動意識を改めておかねばならない。そのためにどうすればよいのか、考えてみようと思う。