3.家庭の食事が洋風化した

 毎日食べる家庭の食事の内容が、昭和60年ごろになると劇的に変わった。戦後の僅か40年間にそれまでの米飯を中心にして野菜、魚を食べていた和風の食事を改め、パン、肉料理、乳製品などを多く摂る洋風の食事をするように変わったのである。それは当時の日本人の劣悪な栄養状態を改善するために政府が実施した栄養改善運動の成果であったが、それだけではなかった。何事でも戦勝国アメリカの文化を良しとした戦後の風潮と、一度でよいから欧米風の豊かな食事をしてみたいという当時の民衆の強い願望があったからである。

 敗戦後の深刻な食料難に苦しんでいた当時の日本人の憧れは、アメリカ市民の豊かな食生活であった。当時、朝日新聞に連載されていたアメリカの家庭漫画「ブロンディー」に人気があった。金髪の美人ブロンディーの剽軽な夫、ダグウッドが大きな電気冷蔵庫からハムやチーズ、ジャムなどを取りだし、巨大なサンドイッチを作って食べる光景を、それこそ生唾が出るのを我慢して見ていた記憶が今も鮮明に残っている。マクドナルドのハンバーガーやコカコーラなど「アメリカの味」は人々に大きな驚きを与えた。昭和45年、日本人の3人に1人が入場したという大阪万博で、多くの人が初めて欧米諸国の料理やファーストフードに接して驚いたのである。それまでに経験したことがないような鮮烈な食の驚きと喜びが大きな動機になって、日本人の食生活が急速に洋風化したのであった。

 高度経済成長期には多くの若い男女が仕事を求めて農村部から都市部に移住してきた。親から離れて都会で新しい家庭をもった若い女性たちが、毎日の食事作りの参考にしたのはテレビの料理番組と女性雑誌の料理記事であった。それまで母親から娘へ、姑から嫁へと受け継がれてきた一汁三菜の和食はここで一旦姿を消すことになった。主婦の料理に対する関心は高まり、「おいしく手軽な料理作り」、「家族の健康を考えた食事作り」、「料理の楽しさと栄養のバランス」を教える料理学校が各地に開かれ、そこに通うのは若い女性の花嫁修業の一つとされた。農村部では公民館で食生活の改善を目標にした料理教室が開かれ、栄養バランスの良い食事を作る指導が行われた。家庭での食事作りは家族への愛情の表現であるという意識が強くなったのも、昭和40年代前半のことである

 料理研究家やプロの料理人が、実際に調理しながら説明するテレビ番組、NHKの

「きょうの料理」が始まったのはまだ白黒テレビの時代であった昭和32年、今から62年前のことである。その後、現在まで続いている長寿番組となり、戦後の家庭料理の発展に大きな貢献をした。和風の料理が多かった戦前の家庭料理に、洋風、中華風の新しい料理を加え、また栄養や食品衛生に関する知識などを普及させるのに役立ったのである。

 現在、家庭で食べている「おかず」を調査してみると、焼き魚、刺身、野菜の煮物、きんぴらごぼう、和え物、冷奴、味噌汁、漬物などの和風料理が少なくなり、ハンバーグ、とんかつ、魚フライ、ビーフステーキ、カレーライス、シチュー、グラタン、コロッケ、肉じゃが、野菜サラダなどの洋風料理、餃子、鶏肉唐揚げ、酢豚、焼肉、野菜炒め、マーボー豆腐などの中華風料理が増えている。主菜は洋風、中華風で、副菜は和風という取り合わせが多く、諸外国の料理を日本風にアレンジして定番料理にしているのである。    

 戦前の家庭の食事は和食メニューが90%であったが、昭和40年頃になると洋風料理や中華風料理が増えて、和風料理は36%に激減しているという調査がある。しかし、その後、平成になる頃から人々の健康志向が強くなり、脂肪を摂りすぎない和風の料理が再び見直されてきた。現在、テレビの料理番組で紹介されているのは和、洋、中華、そしてそれらの折衷料理が多い。諸外国の家庭ではその国の伝統の料理を、しかも毎日同じようなものを食べていることが多く、日本のように外国風の料理が家庭にまでどっぷりと入り込んでいるのは世界的にみてきわめて珍しい。今日は和食、明日は洋食、あるいは中華風と毎日の献立が日替わりで変る日本の家庭料理の豊かさと多様さは世界に比類がない。