4.家庭の食事作りが便利になった

家庭の食事作りが大きく変わり始めたのは、高度経済成長が始まった昭和30年代のことである。昭和31年に都市部の住宅難を解消するために日本住宅公団が2DK団地を建設し始めると、若い夫婦は親と別居して夫婦と子供の核家族で暮らすようになった。すると、これまで母親から娘へ、姑から嫁に伝承されてきた炊事と料理のスタイルが一変したのである。

 その始まりが「台所革命」であった。土間に竈と七輪がある暗い台所はガス、水道を備えた明るいダイニングキチンに変わった。そして、昭和28年からダイニングキチンの電化が始まった。ミキサー、ジューサー、電気トースターが登場し、昭和30年には「寝ていてもご飯が炊ける」電気炊飯器が発売された。どの家庭にも電気冷蔵庫が備えられ、主婦たちを毎日の買い物から解放した。昭和41年に発売された電子レンジは冷凍食品とタイアップして昭和64年には全世帯の70%に普及した。「チンする」という新しい調理用語が生まれたのである。それまでは茶の間でちゃぶ台(折りたためる脚がついた座卓)を囲んで食事をしていたのが、2DK住宅のダイニングキチンで食卓と椅子を使い、花柄の洋風食器で食事をするようになった。

 更に、若い主婦の食事作りを助けたのは続々と開発された便利な加工食品である。 加工食品といっても、戦前からの小麦粉、うどん、豆腐など、缶詰、瓶詰、塩干物、漬物などの保存食品、味噌、醤油、みりんなどの調味料はそれほど増えたわけではない。急速に増えたのは冷凍食品、即席食品、調理済み食品など少し手を加えるだけで食べられる加工食品なのである。

 戦前は調味料と言えば醬油、味噌、砂糖、昆布、鰹節などであったが、戦後は昆布や鰹節で出汁をとる代わりにグルタミン酸ナトリウムとイノシン酸などを調合した化学調味料を使うのがごく普通のことになった。さらに、チューブ入りのマヨネーズ、固形スープの素、麺つゆ、ポン酢、焼き肉のたれ、など便利な調味料が発売された。

 食品の三大傑作はカップ麺、レトルトカレー、そして即席味噌汁であろう。湯を注ぐだけで食べられるインスタントラーメンの歴史は昭和33年、日清食品の創業者、安藤百福が「チキンラーメン」を発売したことに始まる。麺に鶏がらスープを沁みこませ、油で揚げて乾燥させたチキンラーメンは、お湯を注いで2分経てば食べられた。1袋35円のチキンラーメンは発売と同時に1300万食を売り上げたので、この年は「インスタント元年」と呼ばれている。その後、インスタントラーメンは麺とスープを別にした袋入り麺になり、さらに昭和46年にはカップヌードルに進化した。今ではカップ麺、袋入り麺を合わせて56億食、日本人は一人あたり年間44食を食べ、世界中では千億食が食べられている日本発の世界食品である。

 レトルトカレーの市場規模は今や800種類、450億円になり、一袋450円とすると10億食になるが、その始まりは昭和43年に大塚食品が発売したレトルト「ボンカレー」であり、これが日本のレトルト(加圧加熱殺菌)食品の始まりでもあった。どの家庭でも便利に使っている固形のカレールーも昭和35年にハウス食品が開発したのが始まりである。レトルト食品は今やシチュウやスープ、食肉、魚介の加工品などを含めて22万トンも生産されるようになっている。

 即席味噌汁が登場したのは昭和50年である。最初は粉末味噌を使っていたが、その後、生味噌を使う製品が多くなり、味噌汁を具と共にそのまま凍結乾燥した高級品もある。今や、家庭で作る味噌汁よりおいしくなった即席みそ汁は一人あたり年間Ⅰ0杯も飲まれている。家庭で作る味噌汁を1年に200億杯とすれば、即席みそ汁はその5%になる。家庭で使うだけではなく、職場でも、行楽の場でも手軽に利用できる即席みそ汁の需要は増え続けている。

 昭和28年に初めて発売された冷凍のコロッケ、焼売などは、昭和39年の東京オリンピックを機として外食産業から普及し始めた。家庭用の冷凍食品も、始めはパック詰め米飯、ハンバーグ、コロッケ、カツ、餃子、ピザ、炒飯など年間15万トン弱の生産であったが、今では焼魚、カット野菜なども含めて約500種類、286万トンにまで急増し、一人あたりにすれば年間23キログラムが使われている。昭和60年にはペットボトル入りのお茶飲料「おーい お茶」が販売され、お茶も家で淹れる必要がなくなった。

 家庭で購入される食材の支出内訳をみると、加工食品への支出は昭和40年には48%であったが、平成8年には61.3%に増え、米や大豆などの穀物は6.2%、精肉、魚、野菜など生鮮食材は32.5%に減っている。家庭で購入している食材の実に3分の2が加工食品なのである。鮮魚や野菜など生鮮食料品の売り上げは15兆円であるが、これら加工食品の販売額はその2倍、30兆円にもなっている。インスタント食品をはじめとするこれらの調理済み加工食品は、昭和という高度経済成長時代の忙しい社会が生んだ「早くて便利な食品」なのである。

 主婦たちが食料品の買い物をするのを便利にしたのは、食品スーパーマーケットとコンビニエンスストアの普及である。 我が国最初のスーパーマーケットは昭和28年、東京青山に開店した紀ノ国屋であり、昭和32年にはダイエーが神戸三宮店を、33年にはイトーヨーカ堂が東京北千住店をオープンした。生鮮食料、加工食品を含めた食品の総合量販店であるスーパーマーケットは、「低価格」、「セルフサービス」、「なんでも揃う」を売り物にして急速に店舗数を増やし、昭和64年には売り上げが9兆円になった。スーパーマーケットは戦前にアメリカで生まれた小売り形態であるが、戦後、日本に移入されて大量仕入れ、大量販売方式で食料品の小売業態を一変させてしまったのである。

 コンビニエンストアーが日本で産声を上げたのは、それより15年ほど遅れて昭和49年である。セブンイレブンの東京豊洲店がそれである。「何時でも買いものができる」ように、人通りの多い街中で24時間、年中無休で営業するコンビニは、売り上げの70%がおにぎり、弁当、総菜、菓子、飲料などの食品であり、食事づくりをしない学生や単身者、昼食を買うサラリーマン、夜食を探す深夜族、食事作りが面倒になった老年者にとってなくてはならないものになっている。コンビニの売り上げは平成2年には2兆円なった。。住民2500世帯に1店舗あるスーパーは家庭の冷蔵庫代わり、900世帯に1店舗あるコンビニは家庭の台所代りに利用されているのである。 

 食料品の小売業の総売り上げは現在、45兆円であるが、そのうち、食品スーパーが2万店で売り上げが13兆円、コンビニが5.7万店で売り上げ12兆円である。スーパーとコンビニだけで生鮮食料品、加工食料品の半分以上が売られているのであり、その売り上げは平成になってから倍増している。これに対して、従来からの小規模な鮮魚店、精肉店、青果店、菓子屋,米穀店,酒販店は急減して34万店になり、売り上げも20兆円に減少した。

ここで,強調しておきたいことは、これらの便利な加工食品とスーパーマーケットとコンビニの普及が家庭の食事作りをがらりと変えたことである。魚や肉、野菜など生鮮食材をを毎日、市場に買いに行き、台所に長時間立って調理していたかつての食事作りは、スーパーマーケットあるいはコンビニで購入しておいた加工食品や冷凍食品、あるいは調理済み食品、持ち帰り総菜などを利用することにより著しく簡略化されたのである。家庭で朝食を作る時間は平均して15分、3品か4品のおかずを作る夕食でも40分あればできるのである。