5.外食をすることが増えた

 外食をすることが手軽にできるようになった。大阪万博が開かれた昭和45年に、外資系のファーストフード・ショップやファミリーレストランが相ついで日本に進出してきた。それまで生業、家業として家族規模で営業していた飲食店業界にフランチャイズ・チェーン経営の「外食産業」が加わったのである。高度経済成長の恩恵を受けて生活に余裕ができてきたので、日曜日にはマイカーでドライブを楽しみ、ファミリーレストランで食事をすることが流行した。食事のレジャー化が始まったのである。戦前には家族で外食することはほとんどなかった。著者は戦前に幼年時代を過ごしたが、たまに、うどんの出前を取ってもらうか、デパートの食堂でホットケーキを食べさせてもらうのがうれしかった。戦後、集団就職で東京に出てきた地方の中学生が街の食堂で食べさせてもらったカツドンのおいしさに驚いたのも無理はない。しかし、今では外食をすることはレジャーではなく日常のこととなり、家族そろって外食店を利用するのが月に1,2回あるいは週に1、2回もある家庭が増えている。

 注文すればセルフサービスで手軽に食べられるファーストフード店も昭和40年代に現れた。 第二次大戦が終結した直後、アメリカ、カリフォルニア州バサデナで映画館を経営していたマクドナルド兄弟が、映画の休憩時間にパンにハンバーグステーキを挟んで売ってみたところ飛ぶように売れた。これがハンバーガーという世界的なファーストフードの始まりである。 日本マクドナルド社の1号店は昭和46年、東京銀座の三越デパートのショウウインドウを借りて開店した。当時、ハンバーガーは1個80円で割高なものであったが、「アメリカの味」が人気を呼び、あっという間に50万円を売り上げたのが今も語り草になっている。その後、モスバーガー、ロッテリア、フレッシュネスなどが相次いで参入して、ハンバーガー・ショップは全国に6200店舗を超えた。マクドナルド社の店舗数は、アメリカに次いで日本に多いという。世界共通の味付けをして、マニュアル化した画一的なサービスで提供するハンバーガーは、世界でも最も多様性に富む日本の家庭料理の対極になるものである。

 ファーストフードは文字通り「注文すれば直ぐに食べられる」ものであり、忙しい現代人にぴったりの新しい食事形態であると言ってよい。ハンバーガーのほかにもミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキン、吉野家牛丼、ドトール社やスターバックス社のコーヒショップなども同類である。ファーストフード店のメニューはチェーン店に共通だから、食材はまとめて大量に安く購入し、下ごしらえ、調理はセントラルキッチンでまとめて行い、チェーン店舗ではマニュアルどおりに温め、トッピングし、盛り付けるだけである。コックがいなくても、パートやアルバイトの店員で同じ味、同じ品質のものを、しかもお客を待たせることなく迅速に提供できる。新しい外食サービスの形態が生まれたのである。昭和30年頃までは高級な食べ物であった握り鮨も回転ずしの登場で一挙に大衆化した。回転ずしの第一号店は昭和33年、大阪で開業した元禄寿司である。

 外食の市場規模は平成9年までに29兆円に拡大し、人口一人あたりで比べればアメリカの2倍にもなるという活況ぶりである。その内訳をみると、食堂、レストランなどが47%で最も多いが、学校、企業、病院などでの集団給食が15%を占めている。集団給食は戦前にはなかった外食の形態なのである。そのほかには寿司屋、そば、うどん店、料亭、旅館、ホテル、居酒屋、バー、喫茶店などを含めて、いわゆる飲食店は全国に45万店あるから、平均して120世帯に1店舗があることになる。

 そして、家庭の外で食べる「外食」ではないが、家庭内で作る「家庭内食」でもない、その中間に位置する「中食」が増えて、食事は家庭で用意するものと言うこれまでの概念が大きく変ることになった。持ち帰り弁当屋、コンビニ、スーパーなどの総菜売り場で販売されている弁当、総菜、ハンバーガー、調理パン、おにぎり、すしなど、「中食」といわれる持ち帰りの調理済み食品が、ビジネスマンや学生、高齢者などの昼食、夕食に重宝がられるようになった。持ち帰り弁当チェーンが登場したのは昭和50年代であった。中食の総売上高は平成2年には2.5兆円になった。当時、アメリカでは、スーパーでお客が購入した食材を店内で調理して提供するHMR(ホームミールリプリースメント)が流行していたが、持ち帰り弁当や総菜はその日本版であるといってよい。