4.巨大化した食料需給システムが発生させた社会問題

 グローバル化した食料経済システムの被害をもっとも大きく受けたのは国内の農業である。国内農業は耕地が狭く、労働コストが高いので農産物の生産価格が海外諸国に比べて高く、安い輸入農産物に対抗できないのですっかり衰退してしまった。足りない食料は無理をして国内で自給するよりも海外から安い食料を輸入するのがよいとしてきたためでもある。この対応は経済学者デヴィッド・リカードが提唱した「比較優位の法則」に適っていた。つまり、日本は最も効率よく生産できる工業製品を輸出して、生産性の悪い農産物、畜産物は海外諸国から輸入して調達するのが、双方の国の経済にとって好ましい結果になると考えてきたのである。の結果、年間に5800万トンもの食料を海外から輸入することになったのであるが、それを可能にしたのはグローバル化した食料供給システムを利用することができたからでもあった。

 国内の農水産業を苦しめている原因は、生鮮食料品の巨大で複雑な流通経路である。卸売市場は各地で少量、多品種に分けて生産される青果物、水産物を、消費地の大量需要に応じられるように一括集荷し、公正な市場価格を決めて、消費地の外食店や小売業者に小分け販売してくれるから、全国に散在する生産者と消費地の小売店や外食店をつなぐために必要にして便利な存在である。しかし、流通経路が多段階に分かれているために、それぞれの段階ごとに取扱手数料と輸送費などの経費が必要になり、それがすべて生産者の負担になることが問題である。卸売市場で決まった市場価格からこれらの流通経費を差し引いた金額が生産農家に支払われる。青果物、水産物ともに流通が全国規模に広がり、市場価格は生産地とは関係なく消費地側の都合で決まる。その結果、生産農家の手取りは消費地での小売価格の30%前後にまで少なくなることが多い。                        

 生産農家はこれらの理由で生産コストに見合う利潤を得ることが難しくなり、国内の農水産業が衰退することになった。国内の農業総産出額は昭和60年の11兆6千億円をピークに減少を続け、平成23年には8兆2千億円になっている。平均的な販売農家の農業所得は108万円に過ぎず、農業では生活できないので、販売農家でも8割が兼業農家であり、給与や年金で家計を維持しながら農業を続けている。農業だけでなく漁業も厳しい状況に直面している。50年前に80万人であった漁業人口は今や18万人に減少し、沿岸漁業者の平均年収は300万円に足らず、漁業総生産額は1兆6千億円に減っている。  

 農業生産額は60年前には国内総生産の11%を占めていたが、平成28年度には国内総生産に対する比率が僅かに1.6%に減少した。高度経済成長が始まる直前、昭和31年の食品関連産業の経済規模は約4兆円で小さかったが、その35%は食料を生産する農家や漁業者に還元されていた。今はフードシステムの規模は約80兆円に拡大しているが、その10%が一次生産者に還元されるだけである。いくら科学技術が進歩しても人工では作れない食料を生産している農家や漁業者が報われなくなったのである。

 このような経過で、食料を生産する農水産業に比べて、その食料を加工する製造業、流通させる流通小売業、料理を提供する外食サービス業が膨張し過ぎてしまっている。食料、食品は自給自足するものからお金で買うものになり、食事は家庭で調理するものから調理済み食品を利用するか、外食店を利用して済ますものに変わった。昔は命をつなぐために自給自足していた食料が、今や、巨大な食料経済システムの商品と化して金銭で売買されるものになり、そして、その膨張し過ぎた食の経済システムを支えるために、企業は宣伝や情報を使って私たち消費者に必要以上の食の豊かさと便利さを求めさせ、食料の過剰消費、無駄遣いを強いていると言ってよい。

 そのほかにも、経済効率を何よりも優先する巨大なフードビジネスは、巨額の社会的費用を派生させていることを忘れてはならない。経済効率のよいフードビジネスのお蔭で食材や外食サービスの直接的な値段は安くなったが、食材、食品の価格に転嫁することができない外部性コストが発生して、最終的には公共体の大きな負担となっている。後で詳しく解説することであるが、農作物を増産するために多量に投入した化学肥料や農薬は自然の環境や生態系を破壊し、それを回復させるために多額の国家費用が使われる。安い輸入農産物に押されて国内農業が衰退し、休耕地や耕作放棄地が増えると、土壌流失や水害が増える。食料を世界中から輸入しているから、海外の遺伝子組換え農産物やBSE、鳥インフレエンザなどが直ちに台所に持ち込まれる。加工食品や調理済み食品が増えたので、その原料に農薬が残留していたり、危険な食品添加物が使われたりして食生活の安全性が損なわれる。これらの食品の安全性を確保する社会制度を整備するには多くの国費を必要とするのである。食料が豊かになったのをよいことにして過食、飽食をするから、肥満者が増え、それに伴って生活習慣病が激増して国民の健康を損ない、国民医療費や介護費を増大させている。家庭では個食やバラバラ食が増えて家族の絆が弱くなり、伝統の食文化が忘れられるなど文化的損失も大きい。世界的に見ると、巨大なグローバル食料経済システムは貧しい途上国を置き去りにして、10億人もの飢餓者を生みだしてきた。これらの目に見えない社会損失、社会的コストを取り返し、修復するには、巨額の社会費用が必要であることを忘れてはならない。

 20世紀の前半において世界の食料不足を解消し、多くの人々の豊かな食生活を実現した巨大なアグリビジネスとグローバル化した食料供給ビジネスは、今やいくつかの成長限界に直面している。現代の食の世界が抱え込んでしまった問題の多くは、もはや食の分野だけでは解決できない大きな社会問題になっているのである。自然の生産力を無視して必要以上の食料を増産し、必要以上に食生活の豊かさと便利さを追求してきたことがよくなかったのである。改めて、「今後はどのようにして食料を生産し、どのように消費するのがよいのか」ということを考え直してみなければならなくなっている。