5.食べものの安全性はどのくらい向上したのか
食物の安全性を損なう化学物質は残留農薬や食品添加物をはじめとして、環境ホルモン、遺伝子組換え農産物、BSE牛肉、鳥インフルエンザなどと次々に現れ、事あるごとに「危ない、使うな、食べるな」と大騒ぎになる。また、食品の賞味期限や原産地、原材料などを偽って表示する偽装事件が後を絶たない。
このような事態を解消するために、平成15年、消費者の健康を守ることを最優先にする「食品安全基本法」が制定され、さらに、食物の安全性を専門家が科学的に審査し、消費者の健康を守る対策を答申する食品安全委員会が設置された。これ以来、食品添加物や農薬の使用はそれ以前よりも一層厳しく規制されるようになり、食材の原産地や製造原料などを保証する食品表示制度が拡充され、食品添加物や農薬の違法な使用や虚偽の表示を取り締まる体制も強化された。さらに、平成21年にはこれら消費者行政の司令塔となる消費者庁が発足した。
これらの対策が実施された結果として食品の危険性は一時よりずいぶん小さくなり、日常の食生活には支障がない程度に安全性が確保されている。例えば、殺虫剤が残留基準値を超えて残留している中国産野菜を食べて、運悪く健康被害に遭う危険性はどのくらいあるのであろうか。輸入野菜は空港や港の検疫所で検査を受けているから、残留基準値を超えた農薬が検出される野菜は0.02%あるかないかである。年間300万トンも輸入される中国産野菜の中で、僅か600トンぐらいの汚染野菜を、1億2700万人の日本人の1人である自分が運悪く食べる羽目になる確率は極めて小さい。しかも、残留基準値とは生涯、毎日食べ続けても健康に悪影響がないと確かめられている安全な残留量のことである。だから、基準値を超えた農薬が残留している野菜であっても、それを一度や二度食べるだけなら直ちに健康に被害があるというものではない。また、運悪くBSE感染の牛肉を食べてしまい、それがもとになって運悪くクロイツフェルト・ヤコブ病を発症する人は、1億2700万人の日本人の中で1年に0.004人もいないだろうと推定されている。これは1000万分の1の危険性よりさらに1万分の1小さい危険である。アメリカの環境保護庁では100万分の1以下の可能性で生じる小さな危険ならば、防ぎようがないから安全であるとみなすことにしている。
しかし、危険に出会う確率の数字がこのように小さければ、人々は安心するかといえば必ずしもそうではない。年末ジャンボ宝くじの特等賞金5億円を手にすることができる確率は1千万枚に1枚であるから、当選することなどとうてい期待できないのであるが、人々ははかない期待をして宝くじを買う。食品添加物や残留農薬、BSE汚染牛肉などにより1000万人に1人あるか、ないかの不幸な被害者になるかもしれないと心配するのは、特等に当選することなど期待できないと知りつつ宝くじを買うのと同じ心理である。科学的根拠に基づいて客観的に判断した「安全」と、消費者自身が主観的に判断する心理的な「安心」とは別のものだということである。
このようなことでは社会全体として「科学的には安全になっているのに、心理的に安心できない」という困った状態が続く。必要以上に厳しい検査や規制を実施しても、効果はそれほどに期待できず、費用が嵩むばかりである。これからは、必要以上の安全性を保証することを行政、生産者、販売業者に押しつけていないで、消費者自身も専門家の説明をよく聞いて安全になっていると理解し、安心することにしてはどうだろう。アメリカでは食品医薬局(FDA)によって科学的に審査して安全であると保証された食品ならば、安全であり、安心してよいと受け容れている。遅ればせながらわが国でも、平成15年に食品の安全性を科学的に審査する食品安全委員会が、科学者、学識経験者、消費者代表を集めて発足している。日本の消費者もそこで行われる公平な科学的審査を信用して安心するようにしたいものである。
