我が国では明治時代になるまで料理をするのは男の仕事とされてきた。殿様や大身の旗本の屋敷、あるいは寺院の台所で、または料理屋で包丁を捌き、煮物を作り、盛り付けをする料理人はすべて男性であり、女性は洗い物など下働きをした。もちろん、一般の商家や農家で飯を炊き、味噌汁や漬物を作るのは女性であったが、それは食事の支度をすることであり、料理をするのではないと考えられていた。料理は客をもてなす為の物であり、家族の食事を用意するのは炊事であり、調理であった。民族学者、柳田国男の「明治大正史 世相編」によれば、明治初年の農村では手に入る食材が限られていたので、村中どの家でも毎日、同じような食事をしていたのである。

ところが、明治になり、東京に官吏やサラリーマンの中流家庭が出現すると、主婦は炊事を女中任せにせず、女学校で習った調理実習や料理書、新聞、雑誌の料理記事などを参考にして毎日の献立を考え、和洋折衷の洋食料理などを作るようになった。プロの料理人が作る料理とは別の家庭料理という新しい料理が誕生したのである。

明治時代に西洋料理の作り方を紹介したのは明治5年に刊行された仮名垣魯文著「西洋料理通」をはじめとして「西洋料理指南」、「手軽西洋料理」、「即席簡便西洋料理法」、「女鑑」、「実用料理法」「西洋料理2百種」「常盤西洋料理」「御手軽西洋料理の仕方」「西洋料理教科書」、「洋食の調理」などの解説書であった。中でも、明治36年に出版された村井弦斉の「食道楽」は和・洋・中華6百種類もの料理と食材を紹介して10万部という当時としては空前の売れ行きになった。食道楽という言葉はこれから始まったのである。明治15年に東京、日本橋に赤堀峯吉が開いた「赤堀割烹教場(現赤堀料理学園)」は家庭婦人向けの料理教室の最初である。ついでながら、戦前の主婦が台所で付けていた割烹着はこの教場で考案されたものであり、峯吉の曾孫,赤堀全子はNHKの「きょうの料理」にも出演していた。明治の文豪、森鴎外は千駄木の自宅,観潮楼に友人、弟子を集め、ドイツから取り寄せたレクラム版の家庭全書を頼りに西洋料理を作らせて振舞っていたと言う。大正時代には主婦向けの料理記事を掲載する「料理の友」や「主婦の友」が創刊されている。

そのような家庭料理が大きく変わったのは第二次大戦後、高度経済成長が進行していた昭和30年代から40年代のことである。昭和31年に日本住宅公団が2DK団地を建設し始めて続々と建設される団地マンションに入居した若い夫婦は、親と別居して核家族で暮らすようになった。学校を卒業した娘が家事を手伝うことなく、職業に就くようになるのもこの頃からである。そこで、これまで母親から娘へ、姑から嫁に伝承されてきた炊事と料理のスタイルが一変したのである。

 その始まりが「台所革命」である。土間に竈と七輪がある暗い台所はガス、水道を備えた明るいダイニングキチンに変わった。そして、昭和28年からダイニングキチンの電化が始まった。ミキサー、ジューサー、電気トースターが登場し、昭和30年には「寝ていても炊ける」電気炊飯器が発売された。どの家庭にも電気冷蔵庫が備えられ、主婦たちを毎日の買い物から解放した。昭和41年に発売された電子レンジはコンビニ食品、冷凍食品とタイアップして急速に普及した。「チンする」という新しい調理用語が生まれたのである。

そして、カレー、チャーハン、焼きそば、スパゲッティ、目玉焼き、の頭文字をとって「カーチャンヤスメ」と揶揄された若い母親の貧弱な料理レパトリーを補ったものが、テレビの料理番組や新聞、主婦雑誌の料理記事であった。主婦の料理に対する関心は高まり、「おいしく手軽な料理作り」、「家族の健康を考えた食事作り」、「料理の楽しさと栄養のバランス」を教える料理学校が各地に開かれ、そこに通うのは若い女性の花嫁修業の一つとされた。昭和30年に開校した東京市ヶ谷の江上料理学園には6000人を超える生徒が集まった。農村部では公民館で食生活の改善を目標にした料理教室が開かれ、栄養バランスの良い食事を作る指導が行われた。

高度経済成長が終わった昭和61年には職業を持って忙しく働く女性に手軽に作れる料理のレシピをカラー写真で紹介する雑誌「オレンジページ」が創刊され、続いて「クロワッサン」、「レタスクラブ」、「エッセ」などが働く若い女性に利用された。最近では、プロのシェフが教えるフランス料理やイタリヤ料理の教室、老舗料亭の料理長が教える割烹教室なども盛況である。

現在、家庭での料理作りにもっとも活用されているのは料理サイト、「クックパット」であろう。クックパットに収録されている料理レシピのほとんどは家庭の主婦が投稿したものである。それを見ると、現在の家庭料理は和風、洋風、中華風と多岐にわたり、プロの料理人のそれと比肩できるほどに充実していることが分かる。

 料理研究家やプロの料理人が、実際に調理師ながら説明するテレビ番組、NHKの「きょうの料理」が始まったのはまだ白黒テレビの時代であった昭和32年、今から58年前のことである。その後、現在まで続いている長寿番組となり、戦後の家庭料理の発展に大きな貢献をした。和風の料理が多かった戦前の家庭料理に、洋風、中華風の新しい料理加え、また、栄養や食品衛生に関する知識などを普及させるのに役立ったのである。

しろくま

  さん

料理の歴史はすごく長いものがありますね。
長く愛されている活動だからこそ、一層大事にしていきたいです。

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